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テーマ:日々自然観察(10123)
カテゴリ:昆虫(アブ、カ、ハエ)
私の問い合わせには、九州大学名誉教授の三枝豊平先生が対応してくださった。先生はオドリバエ研究の第一人者で、同じオドリバエ上科に属すアシナガバエ科についても新種の記載などをされている。 先生の御話を纏めると、写真のハエは明らかにアシナガバエ亜科のアシナガキンバエではなく、これに類似した先生所蔵の標本からの御判断では、ホソアシナガバエ亜科(Sciapodinae:九大目録ではヒゲナガアシナガバエ亜科、ホソアシナガバエ亜科は北隆館の新訂大圖鑑にある名称で執筆者は三枝先生)のChrysosoma属の1種である可能性が高いとのこと[その後、研究が進み同亜科のウデゲヒメホソアシナガバエ:Amblyspilopus sp.1であることが判明した。追記参照のこと]。種が間違っているばかりでなく、亜科も違う「ハエ」だったのである。 因みに、よく知られているマダラホソアシナガバエ(マダラアシナガバエ:Condylostylus nebulosus、マダラホソアシナガバエの名称は三枝先生に由る改称)も、このホソアシナガバエ亜科に属す。
先生に拠れば、ホソアシナガバエ亜科に属すの多く種では、写真の”ニセ”アシナガキンバエの様に、M1+2脈が中室と翅端との中間付近で大きく前縁側に屈曲し、また、その屈曲点から真っ直ぐに翅端に伸びるM2脈(先生の御考えでは、これは本当のM2脈ではなく、屈曲部から生じた二次的な翅脈とのこと。これがM2脈なら曲がる方はM1としなければならない)が出ているそうである。これは、全く分類学的位置の異なるヤドリバエやニクバエの翅脈に近い形である(アシナガバエは双翅目短角亜目直縫群オドリバエ上科アシナガバエ科、ヤドリバエは双翅目短角亜目環縫群ヒツジバエ上科ヤドリバエ科なので亜目の次のレベルで異なっている。ヤドリバエの翅脈は此方をどうぞ)。
本物のアシナガキンバエの翅脈はどうなっているかと言うと、M1+2脈は写真のハエのM1+2脈が前縁に曲がっている位置で、ほぼ直角に前縁に向かって(左)折れ、その直後にまたほぼ直角に翅端の方(右)へ折れ、R4+5脈に平行して翅端に至る。その曲り方は「ジグザク」的であり、大きくない。また、”ニセ”アシナガキンバエの様に「M2脈」を生ずることはない(北隆館の新訂圖鑑にあるアシナガキンバエの写真は、旧版の写真をスキャンしたものと言われており(三枝先生の御話、解説も昔の儘)、元々写真が綺麗とは言い難い旧版よりも更に酷い写真になっているが、少なくとも大きく曲がったヤドリバエ的な翅脈は認められない)。 なお、アシナガキンバエの属すアシナガバエ亜科には、写真の”ニセ”アシナガキンバエの様にヤドリバエ的な翅脈相を持つ種は居ないとの御話であった。
更に奇怪な事は、アシナガバエ科の研究もされ、十万のオーダーで標本を所蔵されていると思われる先生の御手元に、アシナガキンバエ(Dolichopus nitidus)の標本が一点も無いのだそうである。・・・と言うことは、本物のアシナガキンバエは相当な珍種? しかも、日本で始めてアシナガキンバエをDolichopus nitidusとした故素木得一教授の書かれた雄交尾器の側面図と、「Faune de France 35 Dolichopodidae[仏蘭西動物誌三十五:脚長蠅科](Parent 1938)」に載せられている図とでは、先生にはやや異なる様に見えるとのこと。どうも、アシナガキンバエが本当にDolichopus nitidusに相当するのかすらも、少し怪しい様である。 アシナガバエ科の昆虫は九州大学昆虫目録では41種、北隆館の新訂原色昆虫大圖鑑の解説(三枝先生執筆)には12属100種足らずしか記録されていないと書かれている。しかし、「日本産水生昆虫」のアシナガバエ科を執筆した桝永氏に拠れば「500種を越える種類が生息すると推測される」とのこと。要するに、アシナガバエ科は研究が圧倒的に不足している分類群なのである。
Web上にある「アシナガキンバエ」の画像を見てみた。すると、調べた範囲では、そのM1+2脈は全て写真の”ニセ”アシナガキンバエと同じ曲り方をしていた(翅脈の見えない様な写真は、ソモソモ問題外である)。 「"アシナガキンバエ"」でGoogle検索すると8,000以上もヒットする。本物のアシナガキンバエが珍品らしいことを加味すると、私の分も含めてその殆ど全部が、種ばかりでなく亜科のレベルで異なる「ニセアシナガキンバエ」についての記事であろう。亜科のレベルの間違いと言うのは、例えば蝶ならば、ナミアゲハとギフチョウを間違えるのに相当する。Web上の情報には誤りが屡々含まれているのは常識だが、これ程大規模且つ大きな誤りも一寸少ないのではないだろうか。 なお、Web上の「ニセアシナガキンバエ」は、此処に示した写真と同じ1種のみとは限らない。数種が「アシナガキンバエ」として掲載されている可能性がある。「ニセアシナガキンバエ」の正体は、今後アシナガバエ科の研究が進まない限り、キチンと解明されることはないのかも知れない。 謝辞:本稿は、一重に九州大学名誉教授の三枝豊平先生の御指導の賜である。先生には、私のクドイ、時に稚拙な質問にも一つひとつ丁寧にお答え下さり、どう御礼を申し上げたら良いか分からない程御世話になった。今、此処でキチンと正座して西の方(先生の御宅の方向)を向き、叩頭して御礼を申し上げる。「本当に有難う御座いました」。 追記:2010年秋に、田悟敏弘氏により、関東地方のアシナガバエに関する研究が、双翅目談話会の会誌「はなあぶ」に発表され、本種は、ホソアシナガバエ亜科(Sciapodinae)に属すウデゲヒメホソアシナガバエ(新称)Amblypsilopus sp.1であることが示された。それに伴い、表題、内容に多少の変更を加えた。詳しくは、こちらをどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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