夫と義父は、避難困難…
そもそも、夫が車を置いて出た時点で
歩くことが充分でない義父は、
長い距離、ましては急な長い坂道を
上ってくることは無理。
自宅前の橋が渡れない時点で
いずれも川向こうにある地域の避難所すら
行くのが難しい。
裏の段々畑の足元悪い中を、暗い時間に
どこかへと移動することは、難しかった。
その夜、また激しい雨が降り、
70年近く前の水害時には大丈夫だったらしい、
一段高くしてある自宅にも、泥水が溢れてくるのだが…。
ということで、私たち避難所組は
2人分のスぺースが不要になり
受け付けに、そのことを告げると
ひとりで避難して来られた女性がおふたり
ご一緒することになった!!
おふたりとも、山をさらに上った先の隣町、
熊野町への帰宅途中。
おひとりは、車で帰路についていたが
渋滞で動けなくなって、避難所へ誘導されたとか。
もうおひとりは、路線バスで
同じく熊野町への帰宅途中だったが
なんと、あまりの渋滞のためか、バス会社が運行をストップ。
恐らく、道路の被害状況を、本部では把握していたのだろう。
団地入り口のバス停で降りるか
それとも広島市中心部に戻るかの選択を迫られたとか…。
そこで、あと少しと思った彼女は、バス停で降り、
もう少し先のガソリンスタンド近くに
集会所のようなものがあったので
きっとそこが、避難所になっているに違いない…と、
暗い中、殆ど人の気配もない淋しい道を歩いたらしい…。
距離にして、2㎞くらいだろうか…
…今思えば、道路は渋滞していたのだろうから
…歩道はそう暗くはなかったのかもしれない…。
実際、最近24時間営業になったばかりのガソリンスタンドと
向き合うようにして集会所がある。
地域の町内会が建てたものだ。
当時、避難所としては機能しておらず
丁度、その交差点にいた警察官に
坂道を上ったところにある小学校へ行くよう言われて
ようやくたどり着いたのだと話してくれた。
警察官は、全国で報道されている
大きな被害があった矢野川上流方面への道路を
封鎖していたのだろう。
その封鎖された道路の先は、この状態だったらしい‥。
泥水が流れ落ちてきているのは、道路だ…。
翌朝画像を見せてもらって初めて知るわけですが
この時は、一体どこがどうなっているのか
状況は全くつかめていなかった。
私たちは、車に置いてきたボトルウォーターや
食料を持ち込んで、分け合って食べた。
紙コップが大活躍!
そして、ミニトマトが瑞々しくて美味しかった!!