性善説か性悪説か?
人間ははたして善なるものか、悪なるものかは、大変むずかしい問題だ。性善説を唱えたのは孟子(もうし)だ。彼は人間は生来--(1)あわれみの心をもっている(2)不義を憎む心をもっている(3)へりくだりの精神をもっている(4)正と不正の判断力をもっているこの4つの心を持っているのだから、これらを養っていけばよいと考えた。これに対して荀子(じゅんし)は、欲望を自然のまま放置すると、社会を破滅させるとして、そのためには「礼」を教えなければならないと、唱えている。このどちらが正しいかは、少しの間脇に置いておいて、私たちが毎日使っている心に関する漢字を、ここに書き出してみよう。(A)忘、怨、忌、悲、愚、悪、愁、慾、懣、忿、怠、怒、恐、惑、懲--(B)慈、恋、恵、悠、念、威、怒、恩、感、恕--これを見ると、悪しき心のほうが、ずっと多いと思わないだろうか? 残念ながら、善なる心の漢字のほうが、少ないのである。最近のニュースを見ると、とても「性は善である」とは、いえないようになってきた。良心のかけらもないような政治家、経営者、弁護士、医者がゾロゾロ出てきている。運命を考えるとき、あまり性善説にかたよると、むしろ危険だろう。悪人の世の中を、どう生き抜いていくかを考えるのが、これからの運命学の勉強になると私は思っている。