シンギュラリティの恐怖、あるいは希望
人間の頭脳を人工頭脳が超える日が、着実に近づいている。シンギュラリティとは技術的特異点を指すが、強い人工知能や、人間の知能増幅が可能になったとき、突然出現すると予測されている。この言葉が生まれたきっかけは、未来学者レイ・カーツワイルの『ポスト・ヒューマン誕生・コンピューターが人類の知性を超えるとき』(NHK出版)によるのもで、博士の説によると、2045年に、この逆転が起こるという。あと30年とちょっとだ。たとえば人間の演算速度は毎秒100京回といわれている。これに対して日本のスーパーコンピューター「京」の処理能力は毎秒1京回以上で、徐々に人間の頭脳に近づいていることがわかるだろう。人類を超える知性を創造する方法の中に、脳とコンピューターを直結するインターフェイス、精神転送という技術があるという。かりにそのロボットが転送された精神の元の本人であるように感じるなら、そのロボットは人権を主張するようになるという。いわば、自分が2人出現するということのようだ。こういった理論は、いま現在では荒唐無稽に思われるかもしれないが、これまでのコンピューターの進歩を考えた場合、学者の間では、確実にシンギュラリティの日がやってくる、と信じられている。日本人の学者は欧米人の学者より想像力、空想力で劣っている。このコンピューターの歴史を見ても、イギリス、アメリカ、ドイツ人が開発したもので、最初のうちは、日本のどの学者も企業もからんでいない。進歩の過程で脇から押し入っただけで、最初の空想力は日本の学者にはなかった。近頃は近未来を考える作家やマンガ家に、日本人が現われているが、作家ではすでに山口優が20代ではこのシンギュラリティをテーマにして、日本SF新人賞を受けている。恐怖の時代になるのか、希望の時代になるのかわからないが、シンギュラリティの日を待つことにしようか。あっ、その頃は私はもういないのか(笑)。