平凡だが非凡だったタモリ
「非凡とは平凡の繰り返しだ」と聞いたことがある。非凡な人というと、私たちは「凡人にはなれない高みの人」と思いがちだが、実はそうではない。平凡な仕事をあきないでつづけていく人が、非凡な大仕事を成し遂げるのだ、と知ったとき、若い時期の私はパッと明るくなったものだ。ところが現実はそれは不可能に近いことだった。風邪も引くし、下痢もする。10年に1回は家で休み、20年に1回は入院する。これが私の生活だったが、タモリはどうだ!「笑っていいとも」の初回は1982年10月だった。それから32年間、彼は毎週月曜日から金曜日までの5日間に、増刊号の日曜日を加えると、週に6日間、働きっぱなしだった!スタートしたのは36歳で、気がついたら68歳になっていた。「一業一生」を黙々と実践してきた非凡な芸能人だった。まさに「平凡の繰り返し」の一生だった。来年3月「笑っていいとも」は終了することになったが、もうタモリのような平凡な非凡人は、現れないだろう。いつも飄々(ひょうひょう)としていて、怒ったところを見たことがない。芸人としてもそうだが、人間として、これだけ練れている男は、どこをさがしてもいないだろう。むしろ「笑っていいとも」が終わったら、芸人社会から足を洗って、別の世界で模範的な生き方を、生まで見せてもらいたいと思う。いまの時代はゆるキャラだ。この「ゆるキャラ」という概念は、みうらじゅんがつくったようだが、実はタモリに原点があるように思う。タモリの芸風には、適当、ゆるさ、自由さが漂っており、いつも肩の力を抜いている。この姿を見るだけでも、気分がゆったりしたものだが、テレビからこの姿が消えるのはさびしい。ゆるキャラとして、再び復活してもらいたいと思う。