沈黙する意義
「イスラム国」の湯川、後藤さん事件については、政治家、評論家だけでなく、一般人まで、さまざまな説をネットで流している。そんな中でお笑いコンビ「爆笑問題」の太田光は「いまは黙るというか、世界中があまりにもおしゃべりになりすぎている」と、実に冷静に、国民1人ひとりのあるべき姿を話している。「いろいろ言いたいことや知りたいことはわかるけど、他人の命までかけて言わなきゃならないポリシーなんて、あるのかなって思う。黙っていることも必要なときがあるんじゃないか」これはすばらしい意見だ。誰だって人質になった2人を救いたかった。安倍首相以下、政府の全員もそう思っているだろう。だが、そう簡単に2億ドルという身代金は、世界各国が注視の中では出せないし、もし出したとしたら、このあと誰が何人が犠牲になるかわからない。またヨルダンの死刑囚を交換に、といってきているが、これはヨルダン側の国法との問題だ。私たちが口を差しはさむ余地がない。大きくいうならば、まさに太田光のいうように、黙って推移を見守るしかないのだ。私たちは個人としての見方なので「金を惜しんだから、湯川さんが殺されたのだ」とか「そんな危険なところに行ったのだから、本人責任だ」と勝手にいってきたが、ここは報道協定ではないが、国民も協定に加わるべきときなのだ。太田光はそのことをいい切ったが、お笑いタレントの域を超えた有識者といえる。私もマスコミの一員だけに、感心してしまった。今後も似たような事件が起こるだろうが、狭い視野から評論しても意味ないのではないか。ときには有害になるだろう。