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カテゴリ:新型コロナ
マスク着用が個人の自由...いや、判断になったわけだが、先日も書いたとおり、まだマスクを外している人はなかなか見かけられない状況。
ちょっと買い物にと思い立ち家を出たのだが、うっかりマスクを忘れてしまった... よくよく考えりゃ、そのまま店に行ってよかったんだが、体がマスクを取りに戻っていた。 ここまで習慣として身に沁みついてしまったら、これを修正するのはちょっと気合がいるかもねえ。 普段はこうやって「マスクするかどうかは自由だし」なんて言ってるのに、いざとなると全くそんな考えも出なくてマスクするんだもの。 いや、マスクをするのがいけないというのではない。 自由なもんで、別になくてもいいじゃないってだけなんだが、まだ体が反応してしまうってことだ。 で、意を決してマスクをしていなくても、なんか周りがマスクをしていると「これはマスクをしていないとマズいんじゃないか?」なんて思えてくる。 これが同調圧力か?と。 別に周りの人がこちらを睨んでくるとか、そんなんじゃあない。 ただ、周りの人はマスクをしているだけだ。 だけど、その中に一人マスクをしていない自分が耐えられないというかなんというか... まあそういうことだ。 だけど、屋外ではぼちぼちとマスクを外している人が見られるようになってきたので、居心地の悪さが徐々に薄れてきているようにも感じられる。 できればずっと外していたいところではあるけど、どうも今年は鼻のむずむずがいつも以上にあるので、ちょっと外しにくいなと。 しかし、この同調圧力ってけっこう強いものだと改めて感じたもんだ。 以前にも、仕事でドレスコードがある会議に出たのだが、ちょうど夏だったもんで「ネクタイ不要、上着(ジャケット)も不要」というものだった。 なので、私は当然のようにネクタイも上着もなしで出席したのだが、周りのほとんどが上着を着ているではないか。 一瞬、自分が間違えたのか?と思ったほど。 つまり、周りと違うとそのくらい居心地が悪くなるってことだ。 マスクもまだそういうもんなんだろうなと。 多分、マスクをしていなくても周りの人は「まあマスクするかどうかは自由だからな」と思っている人が大半だとは思うし、それでどうこう言われることもないだろうし、コロナが絶賛流行中のときのようにマスクをしていないと睨まれることも露骨に避けられることもないだろう。 多分、みんな普通にしていると思うんだが、それでも周りの目が気になってしまうんだよなあ。 マスクは自由になったのに、「マスクをしているのが当たり前だ」感がまだ充満していて、それと異なるものを排除するかのような空気があるということだ。 どれだけ人の目を気にするんだ?と思うだろうけど、これが日本人なんだろうなと思ったりする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年03月15日 05時51分20秒
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