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カテゴリ:柔術
最近、動画でいろいろと古流武術に関するものが出ていたりする。 黒田鉄山の民弥流とかは本人が始めたものなので古流ではないけど、武術の一流派ではある。 武術自体は古いも新しいも様々にあるわけだが、どこかで線引きせねばなるまいと思う。 でないと話が終わらんもの。 ということで、やはり大きく線が引けるとすれば江戸と明治の境だろうな。 明治元年からは古流ではないとはいえないけど、やはり武士の時代が終わる江戸の終わりから明治の初めを一つの区切りにすることができると思う。 古流と言われる武術についても、その当時は古流ではなかったわけで、あまりそういう区別が必要なのかという気がしないでもないけどな。 まあ、とりあえずは江戸時代末期までに名乗りを上げて、それが今まで残っているものであれば古流と言って差し支えなさそうだ。 そう、今は古流を名乗るにあたって、どのくらい古くから続いているかというのがけっこう重要らしい。 そして、正当性というか、血筋みたいなもんかねえ、自分が本家本元の筋であるというのが重要みたいだ。 でもねえ、これは考証するのが大変だと思うぞ。 一例を出すと、片山流、居合では片山伯耆流と言う方が通りがいいな、その片山流なのだが、始まりは片山伯耆守久安。 これが史実の人物であることは分かっている。 で、その片山流が岩国藩の藩士に伝わっているので、割と辿り易かったりする。 明治になって、武助という人物が継承していたけど、ここで流儀の継承を断念したと言われるので、本家本筋はここまで。 居合自体は今まで伝わっているとされているが、本家のものはもう途絶えているので今に伝わっているものは正当性がないのかと言われると、そうでもないと思う。 それなりに片山流を学んだ人は多かったようなので、その中で今まで伝えられているものがあるということだろう。 他の流派もやはりそうだ。 創始者の家系が続いているというよりも、そこで学んだ人たちが伝えてきているというものだ。 そうやって、現在に至るまで伝えられているものが、古流ということで通っていると考えてよさそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年10月12日 05時58分17秒
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