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カテゴリ:柔術
最近、動画でいろいろな武道とかの動画もあって見ていると、いわゆる古武術の流派もいろいろな動画を上げている。 古武術と言っても大半は居合、剣術が多いのだが、まれに体術のものもある。 その古武術なわけだが、私もとある道場でお世話になっており、稽古を続けてきて、古武術については少し思うところもある。 まず、何というか、胡散臭いよね。 怪しいというかなんというか... いや、やってることはそりゃ戦国の世から江戸時代と武士の世の中で、戦いに生き残るために努力した形なのだから、本来合理的な考えの塊なわけだ。 そんな胡散臭いもんで生き残れるわけないでしょ。 だけどね、これを現代において説明しようと思うととても難しいと思う。 そもそもベースとなる価値観が違い過ぎるというか... 昔は単純に生き残るか死ぬかでしょ。 今はスポーツよろしく勝ったの負けたのでしょ。 で、とっちが強いとか弱いとか。 負けたら今に残ってないし。 よほどしっかりと記録されていて、それが残っていれば別なのかもしれんけど、弱いものは廃れていくわけで、現代まで残っていないということだ。 江戸時代の前から存在し、それが今に残されているものは現代の価値観でいうと「強い」わけだ。 が、注意しなければならないのはどこで現代武道との線引きをするかということ。 これってはっきりしているようでかなり曖昧だと思っている。 武術の一流派を言うなら別に現代武道とか古武道とかいう線引きは不要だと思う。 が、新旧を問うなら、やはり「武士の世」であったかどうかというところではないかなあと思うわけだ。 となると江戸時代までに存在したものが古武道と言っていいのではないかと思う。 もしかしたらもっと前、江戸時代の初めあたりを境にしてもいいのではないかなと。 なぜなら「生死を分ける」から「勝ち負け」に変わってきたのがこのあたりじゃないかなと思うから。 まあ、そうは言っても武士が主体の江戸時代全般はまあ「旧」にふくめていいのではないかということで、明治への変わり目を一つの節目としていいような気がする。 でもね、今に残る武術、剣術のは明治以降に創設されたものも多くあったりするわけだ。 それらも「古流」を名乗ってたりする。 まあ、それまでに残ってきたものを参考に作っているわけだから「古流」と言えなくもない。 実際、私が習っている居合も昭和初期に作られたものだし。 そうは言いながら、やはり「古」にあやかろうとしているのは分かるので、それも100年続けばそのときには立派な古武術になっているだろうなと思うわけだ。 柳生新陰流の祖である柳生十兵衛も、その当時「古流」なんて呼ばれることは考えてもなかっただろうしなあ。 なんかまとまりのない話になってしまったけど、古武術っていうのをうまく説明するものってないかなと思ったときに、いろいろと思うところもあったんだけど、最近は「古典芸能みたいなもん」というのが一番しっくりくるかなと思ってみたり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年02月22日 05時59分48秒
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