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東京日本橋にある中層ビルの3階で仕事をしていた。
地震が起こった。たぶん私が今まで経験した中で最も強い地震だった。 ビルの建物は古く、誰もが倒壊を懸念した。 デスクの下に隠れる者もいた。 デスクの下から常備用のヘルメットを取り出して自主的にかぶる者もいた。 強い地震が2回起こった後も余震のような揺れが続いた。 家族の安否を確認するために電話をかけたが繋がらなかった。 崩落や倒壊による被害は免れたようだった。 揺れがおさまってみれば、たいしたことのない地震のように思われた。 何事もなかったかのように、仕事が再開された。 この時点で各地にどれだけの被害があるのか、ほとんど誰もわからなかった。 帰宅していい時刻がせまると、連絡があるまで待機するように命じられた。 余震は続いており、点検や安全確認のためにどの電車も完全に止まっていた。 協議の結果として、以下の2点が通達された。 ・やむなく徒歩にて帰宅する者はくれぐれも安全に留意すること。 ・徒歩による帰宅が困難な者は会社施設に宿泊してもよいので申告すること。 私は徒歩による帰宅を選んだ。自宅まで2時間とみていた。 会社の外にでると歩道にはいつもより多くの人が溢れていた。 ある者はヘルメットをかぶり、ある者は防災用の巾着を背負い、 またある者は地図を手に混雑する歩道を皇居方面に向かい歩いていた。 かくもこれだけの大勢がこのオフィスビル街にいるのかというほどの人の数だった。 竹橋から九段を経由して飯田橋へ向うあいだ中にも人の流れが途切れることはなかった。 車道は渋滞しほとんど車は進行していなかった。 目白通りの渋滞は著しく、徒歩の私は車道のバスを何台も追い越した。 2時間と少しをかけて自宅へ着いた。 これが東京にいた私の地震体験の全てである。たったこれしきのことであった。 テレビでは各地の被害状況が映し出されていた。その映像に釘付けになった。 電車が止まって帰宅難民になったと騒ぎ立てることが恥ずかしく思えた。 余震は今でも続いている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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