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先日祖父が死にその葬式があって実家に帰った。
田舎の葬式は3日ぐらいかけて盛大に営まれる。 このことは私自身にとっても物珍しかったり刺激に満ちていたりしたのでここにその模様を書き記しておこうという気持ちもあったのだけれども、気持ちの整理がつかないためか情報量が多すぎるためかよくわからないけれども、うまく文章にしてまとめることができなかった。 気持ちの整理がつかないというのは、悲しみが過ぎて混乱しているとかそういうわけではない。大往生だったのだろうからその死は自然現象として受け入れられる。ただそのことを傍観者のように記録したり、それらしく謹みのような装飾を施した文章を垂れ流したりするほど人の死を無責任に定義づけることがまだできない。 だいたい4年か5年に1回のサイクルで山形の実家には帰っていて、先日のが何回目かは記憶には記されていないが、祖父が死に両親は60を越え、私もいよいよ40代が目前のような年齢になってくるといやが上にも月日の流れを感じざるを得ない。 気がつくと私ももうだいぶオトナな年齢になってきたし、この時間の流れを思うと私が両親の年齢に達するのもわりとすぐなような気がしている。 実家に帰ると必ず宴会が始まるのだけれども、その宴会にいつも顔を出してくれる近所の親戚の叔父さんがいる。叔父さんは将棋がうまく、町内会の将棋大会で毎年のように優勝していることを自慢げに語るぐらいの腕で、わたしはいつも宴会が始まる前に「ひとつ教えてください」といって将棋盤を出して対局を請う。すると彼は「じゃひとつ教えてやるかの」と嬉しそうに応じてくれる。 私の棋力はYahoo将棋でいうところの10級とか11級とかそんな程度だが、将棋ほど面白いゲームはこの世に存在しないとも思っていて好きは好きなのだけれども、棋書を読んで勉強するだとか定跡に従うとかいったことが苦手なこともありこの20年来、ひとつもうまくならない。 当然、町内会で優勝するほどの腕を持つ叔父さんと対戦するたびに負けていて、その負けたことが悔しくて、次の対戦に備えてコンピュータ将棋で腕を磨こうとする。だいぶコンピュータと互角に戦えるようになってきたなと思ったころ、実家に帰ると例の叔父さんがきてくれる。恒例の対戦が始まると「おまえの将棋はコンピュータのようだ、すぐわかる」と見透かされ、棒銀や早石田というような戦法で速攻されカタチにもならず惨敗したりする。 実家で私と叔父さんの対戦が始まると、祖父や父や他の親戚たちが将棋盤を囲んで観戦を始める。駒組みができあがり戦端がきられようとすると観戦にも熱がこもる。 「飛車先の歩をついてからだ」「それじゃ負ける、銀引け」とか勝負を左右しかねない助言もとびだす。ちなみに親戚らの中では、町内会優勝者の叔父さんの次にうまいのは私だ。つまりはほとんどがヘボプレイヤーなのだが、そんなことは棚に上げられ、勝負を請け負わない観戦者たちは無責任なことをいいたい放題なのである。 どのオトナも将棋のルールは知っていたし、勝負のカン所のようなものも心得ていて、終局間際ともなると前のめりになって盤上に集中するのだった。 何回か対戦するうちの一度だけ、叔父さんの玉を追い詰めることができたことがあった。 「うーん、やばい、まけたかも」叔父さんはうなった。詰み筋があるのだという。そう教えられても、私はその詰み筋を発見することができなかった。長考(といっても5分10分)の挙句6四あたりに桂馬を放つと叔父さんのうなりはいっそう大きくなった。詰み筋があると教えられ、指した手が間違っていなさそうだというヒントまで与えられた私は見事その対局を勝利することができた。詰み筋がわからないことをいいことに知らないふりで逆転することもできただろうから、つまりは勝たせてもらったわけである。勝たせてもらったとはいえ、このときの嬉しさはいつまでも忘れられない。 オトナが数人集まって、一つのゲームに対して熱中したり熱狂したりする光景はあまりみなくなった。将棋をしている人にでくわすことすらほとんどゼロだ。 私実家に帰るたびにするこの将棋が楽しくて、気が向いたら将棋のことを気にかけてみている。今回の帰省は葬式のためということもあり叔父さんとの対戦はできなくなった。叔父さんは去年も今年も優勝していて、日曜の朝は欠かさずNHKの将棋番組を見ているそうだ。私は10年ぐらい前に買っておいただけの「将棋に強くなる本」を本棚からひっぱりだして読み始めてみている。 でも強さがあまり身についてもいけない。 叔父さんに教えてもらう楽しみがなくなるからね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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