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とくに何もない夏の午後は散歩をして過ごす。
ほとんど老人のような趣味である。 冬は寒いし、雨の日も出かけたりしないから、せめて夏の晴れた日ぐらいは心がけて外を歩こうと思っている。 特に目的はない。なんとなく日光浴ができればいいな、というぐらいの気持ちである。 しかし目的がないと、どこへ向えばいいかわからないし、どんなタイミングで引き返せばいいか悩む。 だから出かける前には目的を決める。 今日はブックオフに行くことにした。 ちなみに先週はイオンに行って、その前はヨーカドー。ちなみに服は値段で選ぶ。1500円でワイシャツを買おう、とか、2000円でズボンを買おうとか、ジャケットなら5000円は出せるけど、1万円するとかなり長考する。 ともあれ、ブックオフである。 ブックオフで買うのは105円の本である。 ブックオフでの本の売値はその情報の価値から導かれるものではなく、商品としての状態かもしくは年代が新しいかのみである。 同じことが書かれていれば、安いほうがいいに決まっている。本を所有したいわけではなく、情報を取り出したいだけなのだ。 だったら立ち読みすればいいじゃん、という話ではあろうけれども、そこまで図々しくはないし、その本をいつでも読める権利としてのレンタル料に105円は適正と思える。 今日は秋葉原のブックオフに行くことにした。 池袋や要町のブックオフは行きつくしていて欲しい本がないことがわかっている。目白店や高田馬場店には昨日いったから、今日はちょっと遠出をしてみようと思った。 最近マイブームになっているのは将棋である。 第4次将棋ブームといっていい。4Gとかいっちゃったりしてもいい。 ただし1~3がどれを指すのかは正確にはいえないし、4というのも甚だ怪しいから大体の雰囲気としてである。 この頃古書店には将棋の本が少ない。 将棋ブームだからか?いや違うな。 将棋人口が少ないのと、あとはプロが書いた将棋の本はだいたい内容が普遍的なのである。情報としての価値が時間によって損なわれてゆくということにあまりならない。 詰将棋の問題集などその最たるもので、第一次マイ将棋ブームのときに買っておいたのを今開いても全く新鮮であり、1ページ目からからいきなり頭を悩ませてしまったりする。たぶん10ページ目ぐらいになると飽きてきて、20ページ目ぐらいからの問題は解けなくなって、だから棋力も向上しなくて、半生それを繰り返してきたからということもあろうけれども、400年からの歴史がある日本将棋の一断面を記したものが、5年や10年で腐ろうはずもないのである。 このところ「羽生の頭脳」という定跡追求シリーズを集めている。 もちろん集めているだけで、中味はひとつも読んでいない。 全8巻あって、そのうちの2、6、8が集まったので全てそろえようと思っている。 全部そろえたからといって、読み始めようという気持ちになるかどうかわからない。 でもそろえようとするところに意味がある。しかも105円で。 秋葉原のブックオフには目当ての「羽生の頭脳」はなかった。 そのかわり、羽生善治と谷川浩司の新書を見つけた。いずれも105円であった。 この頃は新書ブームであるという。 「新書」というのはたぶん、本の規格のことを著す。ハードカバーとか文庫とかと同じように語られる、新しい規格の本だから「新書」と思っていた。ところが新書ブームがいうところの「新書」は、自己啓発やビジネススキルのための新しい教養や知識を教えてくれるような類の本のことをいうらしい。 「バカの壁」とか「国家の品格」は読んだことがある。 ああなるほど、なんつて目からウロコで啓発されたような気にそのときはなったような気もするけれども、どんな内容が書かれていたかは、全くもって完全に忘れている。 その後続々とその新書の類の本が出てきているけれども、立ち読みでパラパラめくっても、大したことは書かれていないように思える。そういった教養本はおそらく、何が書かれているかよりも誰が書いているかのほうが重要で、著者を信用している→著者のいうことはありがたい、ということが成り立たないと、情報としてはほとんど価値がない。 その点、羽生善治と谷川浩司については私はもうテンテーと呼んでもいいぐらい信用しているから、その新書にどんなことが書かれていようとも全面的に受け入れてしまうかもしれないのである。 今日は新しく買った新書を読みながらカラアゲでもつまみにビールを飲もうと思って帰ろうとしたら、なにやら雲行きが怪しくなってきて、駅に着くか着かざるかというところでどしゃ降りの雨になった。 新書を2冊買って210円。 ヒャッキンのビニガサも210円。 昨日の残りのカラアゲ、プライスレス。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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