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昨日買ってきた新書の一つは羽生善治の「決断力」。
昨日のうちに読んでしまって、翌朝にはなに一つ思い出せないという類の本だったが、ところどころ思いが巡らなかったわけではないから、いい機会だし感想文でも書いておこうと思う。 内容をダイジェストに記しておくと、羽生がプロ棋士としての信条や過去の反省、あるいは将来の展望などを語り、各節の結びには、それを読者の生き方やビジネスの成功へのヒントになるであろう、というような語り口の、生き方マニュアルであった。 こういう本から何かを学び取って自分を高めていこうという意志を持つ人は少なからずいるのだろうから、この手の本がバカバカ売れるのだろうとは思うけれども、少なくとも私はその手にはのらない。 例えばこの本のタイトルは「決断力」であり、第二章は「直感の七割は正しい」であり、第五章は「才能は、継続できる情熱である」だ。 決断や直感や情熱が大事なのはだいたいみんな判っている。 羽生善治(プロ棋士)が、何を考えていて何を表現していたか、という情報を得るにはいい本かもしれないが、「決断力」を得ようと思ってこの本を買うやつはまずいないと思われる。決断力のないやつは自分に決断力のないことを自覚していないし、決断力があると思っている自信家は、こんな本は必要ないと直感で決断しているからだ。 出版者が、決断力が足りない世の中を憂えてこんなタイトルにしたなら傲慢だし、決断力という消費ニーズがあると思っていたなら市場調査からやり直したほうがいい。 とはいえ、信用する羽生善治テンテーの権威を台無しにするかもしれないからあげあし取りはやめて本題に入るけれども、ちなみに私は羽生テンテーを信用はしているけれども特に必要以上に尊敬はしていない。どうちがうの、とかいわれても困るけれども、政治家の言葉は信用しないけれども、羽生の言葉なら信用できる、とかそんなあたりだ。 その羽生テンテーの信条をダイジェストでひろうと、「オールラウンダーでありたい」「破壊と創造」「未開の地平を開拓したい」「リスクを負い、決断する」といったところがピックアップされてくる。 気持ちとしては、私と一致している。 こういう心構えの自分はひょっとしたら羽生のような天才かもしれない!と錯覚させてくれるところがこの手の本の楽しいところでもある。この本には、羽生がいかに努力したかはあまり書かれていない。だから、努力していないボクももしかしたら羽生かも!と思い込んでしまう。だから読んでる間は非常に楽しい。 「常識を疑うことから、新しい考え方やアイディアが生まれる」 という一節がある。 この10年20年で、定跡の間違いが発見されていって、定跡がコロコロ変わっていっているらしい。それはまず既存の定跡を疑ってかからないと始まらない、という内容の話である。結びは青色ダイオードの開発者を例に挙げ、先入観や思い込みにとらわれないほうがいい結果が生まれることがある、という感じでしめくくられている。 まったくその通りだと思う。 私も体質的に常識や定跡にとらわれるのは嫌いだから、これには大賛成である。 でも「常識」は言い換えれば「多数意見」であり、「定跡」は「マニュアル」である。 大多数が納得のゆく手順を踏まないと不和が起こるから決まりに従って安全に行いましょう、というような交通ルールのような考えはなにも昔の将棋に限ったことではなく、今まさに身近に起こっているおかしなことなんじゃないかなと思う。 羽生はこうもいっている。 「リスクと決断はワンセットである。決断を下さないほうが減点がないから決断を下せる人が生まれてこなくなるのではないか。」 確かに決断を下せる人は少ない。決断力がないからではなく、リスクを厭うから下さないのである。その結果として、決断し、リスクだけ負う人にリスクが集中する。 こういうような状況は、常識として考えても間違っているとは思うが、でもそれを誰も間違いだと言わないのもまた、常識なのである。局面はまったくもって複雑である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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