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プロジェクトの半ばで仕事を辞めるとした場合、最低でも1ヶ月前には辞意を発表しなければならないという暗黙的な決まりごとが、常識的な目安として定められている。
6月6日に発表したとして6月末か7月中旬で辞めるのは一般常識的にはギリギリセーフかもしれないが、個別事案としてみた場合、つまりオレやその周辺が抱えている仕事を考えたときには明らかに無理筋であることはわかっていた。 だからこの日の朝にまずリーダーに確報として発表した後も、交代人員への引継ぎプランをベースにしたオレの離職時期をめぐる攻防や一時的なひきとめや、あるいは契約不履行に基づく損害賠償請求などに話が発展するようなことも最悪のケースとしては考えられた。 確かにあと1ヶ月で辞めたら現場には迷惑がかかってしまうだろう。そのことはオレにとっても本意ではないが、迷惑を被るから考え直してくれと一方的にいわれることについてはちょっと筋が通らないから、その場合は話し合いにも強行姿勢で臨まなければならないと覚悟はしていた。 転職に関するだいたいの概要は既に速報としてこのリーダーには告げていたから、半ば儀礼的に朝一で設けた会談は、それを整理して淡々と発表するだけのものであった。 甘く見積もっても相当不機嫌そうな表情でリーダーは、オレの話を聞き淡々とノートに記していたが最後にはこうも言った。 「仕事を途中で投げ出すような人を新しい会社は信用してくれるのか」 部分的に考えればそれは「No」であろう。だから時期的な調整の余地は残してあり、オレの希望は7月中旬だけれども、現場としての希望があるならそれを提示してもらい、妥協点を探っていって、途中で投げ出すようなカタチにしなければよい、というようなことも言った。 煮え切らないような表情のままのリーダーとの会談は終わり、いよいよオレの辞意が公的なものとして扱われるべく、リーダーはその上司に報告しに行き、オレは普段の仕事へと戻った。 オレの転職とは無関係にこの週の仕事は山積しており、トラブル処理のために普段の倍以上のスピードでシステム改修のための資料を仕上げなければならなかったし、その間にもさまざまな仕事が降って沸いたりしていて息をつく暇もないような状態だったが、オレの心はここにあらず、ほとんどうわの空でそれらの仕事は進められていった。 立場を違えて考えてみると、オレが持っている仕事を替わりに引き受けなければならなくなった人は気の毒に思うし、誰が新任になるにしてもノウハウを一から蓄積しなければならずその時点でビハインドが生ずる。そんな中トラブルが起こったら対応も遅れるだろうし、それが顧客の信用を落とすことにもつながりかねない。 気の毒に思う反面、知ったことかとつき捨てた考えを持つことも可能だ。 なにしろ顧客からの信用はオレに向けられたものではなく、会社という組織に向けられたものだからだ。しかもオレはその組織に帰属しているわけではなく、信用への見返りも責任も生じない。 そしてこのことが転職を思い立った核心的な動機でもあった。 リーダーは上司への報告を終えたらしくオレのところへ戻ってきて再度会議室へ促された。その表情からは幾分不機嫌さがはがれているのがみてとれた。抱えている問題を打ち明けた解放感や、なるようにしかならないという諦めが、その表情の変化に影響したものとばかり思っていたが、どうやらそういうことでもなかったらしいのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.06.19 10:59:39
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