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リーダーがその上司にオレの辞意を伝えた結果として持ち上がった方針は、
「うちの社員にできないか」というものであったそうである。 ほうそうきたか。 リーダーとの2回目の会談でその話を聞かされたオレは予想外な反応であっただけに少し驚いたが表情には表さなかった。 客観的に考えてみればこの話は悪くない。 話がとんとん拍子に進み、条件を提示されて希望を聞いてもらえるような機会が設けられた場合、採用の望みがあるクチが一つ増えるということになるし、引きとめ工作の一環だとしても、正社員としての登用を持ち出されるということはそれだけ働きが認められている証でもあるわけだし、実利と感情の両面において一考に価すべき引き止められ方であろう。 しかしそれは話がとんとん拍子に進んだ場合の話である。 先方においては既に新しいプロジェクトが7月にも始まろうとしており、そこの重要なポストに適役としてオレをあてがいたい思惑があり、オレも前向きにそれを受けたいと思っているから、時間的猶予はあまりない。 まずその話の確実性と達成への速度感を確認しなければ現実的には考慮には値しないという旨のことをいうと、リーダーはその上司とオレを引き合わせてくれた。 密閉された会議室において、オレとリーダーとその上司との3人で話す機会が設けられたのはその5分後であった。 オレはそこで単刀直入に、かつ言葉を選びながらこうきいた。 「このことの『成功率』はどれほどか、そしてそれはいつ確定するのか。」 するとリーダーの上司はこう言い放った。 「100%であることを、明日の朝に確定させる。」 ほう、言い切ったね。 そう言われたからといって手放しで信用してしまうほどオレはあまちゃんではなかったが、とりあえず引き止めたいという意志があるのは伝わったし、そうまでいうなら1日ぐらい待つかという気持ちでその場はおさまった。 オレにしてみれば現場における残った仕事やノウハウをどう引き継いで、いかにスムーズに双方ストレスなくプロジェクトから抜けるかを話し合うつもりで今日は来たのに、全くもってそのような話にはならなかったどころか、思わぬ方向に話が進み、引継ぎというタスクを処理するにあたり逆に心配になってきたほどであった。 気を削がれた、といってもいい。 しかしながらこの期に及んで社員への道を打診されるとはどういうことであろう。 うわの空ながら山積する仕事を処理している間も、終えて家に帰った後もそのことについて考えざるを得なかった。 この会社で仕事をするようになったのは10年以上も前である。 オレはいわば個人事業主としてこの会社と取引をするようになった。仕事を請け負いその成果にたいしての報酬を受け取る。報酬のやり取りを保証・代行する会社が間に入ってはいるが、スパイにも殺し屋にもエージェントがいるから、ようは代行会社は、チャーリーズエンジェルにおけるチャーリーのようなものである。 げんにオレはチャーリーの顔を知らない。 ただ「フリー」といえばなんとなくかっこよくて聞こえはいいかもしれないが、実質は派遣労働者にすぎない。企業は雇用を保証しない代わりに、請負契約の報酬として割と高い金額を支払ってくれる。 これはこれで効率的なシステムであると思うし、オレもずいぶんその恩恵を受けてきた。 大手からシステム開発を請け負う企業(SIer)にとっても、開発に必要な技術者を雇用して常に全員抱えているわけにもゆかず、パートナー企業から人員を募るとかして最繁期に対応していて、その構造は今もかわらない。在京のパートナー企業だけでも3000社は下らないそうである。 最も人員が必要な生産のピークにおいてたとえば30名の技術者が必要だったが、その後の維持管理には5名程度で十分となれば、あぶれた25名は必要がないから仕事をめしあげられる。めしあげられた25名は所属している会社が生活を保障することには建前上はなっているが、その約半数は個人事業主であり、次の案件が見つからなければ当然報酬はなくなる。 突如訪れた先のリーマンショックによる不況は、かろうじて安定的に仕事の需給バランスが保たれていた状況にインパクトを与えた。株価が大暴落し企業の資金調達が困難になった挙句に無駄な仕事が減った。無駄な仕事に従事していた労働者の仕事は召し上げられた。その主だった者は、企業と直接雇用関係を結んでいない派遣労働者であった。 リーマンショックが起こった2008だか2009年の年末に派遣村として乞食同然のものとして報道された中には、同業も多くいたかもしれない。 その後、法整備がなされていったらしい。 個人事業主=フリーという立場であるものは仕事をすることが公的には許されなくなった。 今まで個人として仕事をしてきた者はどこかの会社に所属していることを求められた。 報酬としてではなく給与として労働への対価が支払われることになった。 しかし、どこかのどこでもいい会社に所属してさえいればいいということは、カタチだけ法律に従いましたということでもあり、仕事がなければすぐにクビを切られるという立場であることには変わりはなく、この法整備は、企業にとっても個人にとっても、なんのメリットもなく、むしろマイナスに働いたとしかいいようがないものであった。 オレはかろうじて現場からは必要とされ続け、途切れることなく仕事にありついてはいる。 しかし不安定な立場であるということには変わりはない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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