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千駄ヶ谷の将棋会館に行ってきた。
将棋会館へ行くのはこれが2回目である。 1回目はちょうど10年ぐらい前、第2次将棋マイブームだったころである。 野球ファンがプロ野球選手に強い憧れを抱くように、将棋ファンもプロ棋士に憧れるものではあるが、このときはプロ棋士に会いたい一心で将棋会館へ行ったわけではなかった。 プロ棋士に憧れるには実力があまりにもお粗末だったから気後れするだけだったし、大盤解説のようなイベントがあったわけでもなく、あったとしても、ほお、とかへえ、とか言えるほどの理解力もないと思われ、さみしい思いをするだけだったからいかないのである。 そういう意味でスポーツ観戦は、観戦する側にスキルが求められていないからうらやましい。野球ならホームラン、サッカーならゴールが決まれば大盛りあがりして、ビールでも飲んでいれば楽しいのは間違いない。 その点将棋は地味である。派手な技が決まったときにはなんとなくわかったりもすることもあるかもしれないが、指し手にミスが出たときなどは、プロに解説してもらわないとほとんどそれがミスだとわからなかったりする。 ビールを飲みながらばか騒ぎでひいきの棋士を応援したりしようものなら周りから白い目で見られそうでもある。ようするに敷居が高い。 また話がそれているけれども、最初に将棋会館へ行ったのは、プロの棋士をひと目みたいからでも、観戦が目的なわけでもなく、単にどういうところなのか、あるいはどれだけ敷居が高いものなのか、ひやかしとして見てみたかっただけであった。 そして昨日、10年越しの2回目としてふたたび将棋会館を訪れることになったがその目的は、「扇子」が欲しかったのである。 扇子は将棋ファンなら一度は憧れる、プロ野球選手におけるファイテン、サッカー選手におけるミサンガ(古い?)のようなものではなかろうか。 ロフトには季節モノとして今多くの扇子が売られているが、どれを手にとってもしっくりこない。広げたときのデザイン性や素材の軽々しさばかりが重視されて、折りたたむときにくしゃくしゃになったり、片手で広げられなかったり、柄のところの素材が竹ではなかったりしてどれもこれも手になじまないのであった。 いざというとき落語でも一席ぶつにもやっぱりあの日本的なつくりの扇子でなくてはいけない。金属質の扇子でははっつぁんそばもうまくすすれやしないってんで白羽の矢が立ったのが将棋会館で売られている将棋仕様の扇子である。 ショールームには当世を代表をする名だたる棋士の揮毫をプリントした扇子が売られていたが、ひいきの選手がいるわけでもないから、なんとなく羽生テンテーのを選んでみようとしたのだけれども、字が上手いとは思えず断念。 やがて、書かれた字の上手さとそのメッセージ性に強く惹かれて選んだのがこの扇子。 「助からないと 思っても 助かっている」 みつおか! 深い。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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