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kosてんてーから昔の日記「スタバのシステム」をつきつけられて思ったのは、これって10年近く前じゃん!てことだった。
今ナナメ的に読み返してみて概要を述べると、レジが2つありオレはその中央で早いほうに受け付けてもらおうと待っていると、どちらかのレジに後からきたおっさんが並びそのレジが早く進んだからオレはちょっとまてよオレが先だろといってトラブルになった、不愉快だった。ということである。 正直、10年経った今も変わっていない。 おとといぐらいも、これと同じようなことをやっているような気がする、というのは言い過ぎかもしれないが、これと同じ気持ちは今でも持ち続けている。あまりにも当たり前のことなのでとりたてて発表することもないとは思うようになったかもしれないけど、アタマのおかしいシステムとか、とち狂った正義漢をふりかざすやつとかに対する嫌悪を忘れたわけではない。 忘れたわけではないけれども、発表しなれければならないほどのことでもない。 こうして発表するテーマや重点が時とともに変わってくると、あの人はちょっと変わった、という印象を持たれるのかもしれない。 道ばたにけなげに強く咲いてる一輪の花に焦点をあてるのか、繁華街で出会ったゆきずりの女に焦点をあてるのか、そのどちらかを選んで発表することで客観としての人格は形成されてゆく。実体が観測者の影響を受けて変わるとかいうのは量子力学が何か知らないけれども、発表された一部を切り取られて人格を判定されてたとしても、アアソウデスネぐらいにしか思わなくなってきたあたり、だいぶ素粒子に近づいてきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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