殿とパグ蔵、最期の時。
「殿」が、保護家に来たのは「奇跡」だった。2014年9月25日…判定終了後、管理所で「殿」と初めて会った。判定に落ちた「殿」は、あの日あの時間、本来ならば、ガス室に入ってた時間でした。11時7分には、ガス室の「音」の中に居たはずの仔でした。「殿」の命を救ったのは、たった一本のロープだった。「殿」は、ロープを引きずって歩いてたところを捕獲された。ロープが新しいという事で、遺棄された仔ではない。飼主のお迎えがあるかも…という期待を持ち、職員さんが、殺処分延長を決めて下さったのです。殺処分が延長になった事で、私は「殿」の存在に気付けた。今、この瞬間、「殿」に出会えたことが奇跡のように思えた。でもそれは、「奇跡」ではなく、あの日の出来事と出会いは、「殿」が「生きる」ためのルートの一つに過ぎなかったのかもしれません。それが「殿」自身が持ってた生きる力だったのかもしれません。2014年10月2日レスキュー。「殿」は、いつも不安を抱いていた。夜は、「殿」が落ち着くまで、寝床で添い寝をしていました。保護家に夜勤スタッフが入り、私が自宅に帰ると、何時間でも吠えて私を呼び続けるので、夜中に何度保護家に飛んで戻った事か…。ですが、犬も人間も同じ。手がかかればかかるほど、可愛くて仕方ないんです。「殿」は、人間にあまり関心がありませんでしたが、声をかけると一応、寄って来てくれ、一応、顔をうずめ甘えてくる仔でした。面白いおじいちゃん犬でした。※1月11日記事「老犬とチビ達」※1月15日記事「疲れたんだね…?」※1月19日4時21分 facebook記事より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 殿、永眠しました。自宅にご飯を届けるために、20時~22時まで保護家を空けました。22時保護家に戻り、真っ先に殿の頬に手をあてて「ただいま」。自宅にご飯を届けに行く度に往復二時間、毎回ドキドキしてた。その間に殿が死んでないかって・・・。23時、殿にシリンダーでお水をあげて、体位交換。溜まってたlineを開きながらひとつひとつ返事を返しながらお風呂の準備。お風呂に入るときは、殿が淋しくないよう必ずテレビをつけて、殿に聞こえるよう音量を30まであげるのが日課。パソコンを開き、少し作業してお風呂に入ろうかなと電源を入れた瞬間、殿の異変に気付きました。殿、逝くときに教えてくれてありがとう。最期に一緒に居れた事が本当に良かった・・・ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 殿は、私の腕の中で最期を迎えました。殿を見送った一週間後・・・※1月27日11時44分 Facebookより。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 10時50分、 保護家の通称「不死身のパグ蔵」こと パグ蔵が亡くなりました。 平日組のスタッフ3名が揃うのを、... 待っててくれたかのような最期でした。 大好きなスタッフに、 身体を拭いてもらいながら、 静かに眠るように・・・。 当たり前だけど・・ パグ蔵は不死身じゃなかったんやね・・ いつも寝てばかりだったパグ蔵。 だからかな? まだ実感がわかない。 また起き上がるような気がしてならない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※2014年記事「11日期限切れ斜頸のパグ」 パグ蔵は、鼓膜付近に数個の腫瘍があり、検査や治療や入院で、一ヶ月以上入院していた時期もありました。何が起ころうが、パグ蔵は頑張って乗り越えてきた。 そのうち「不死身のパグ蔵」と呼ばれるようになった。パグ蔵にも「終わり」が来る日なんて、なかなか想像できなかったし、まだまだあと数年は一緒に居れる気がしてた。 だって…不死身のパグ蔵だから。パグ蔵は、保護家に来た時から認知症でした。どこまで分かっていたのか分からないけど…パグ蔵は、最期の最期だけは、頭はしっかりしていた…と、思う。スタッフNさんは「休むのが怖い」と漏らすようになった。自分が休みの日に限って、保護家の子達が亡くなってる気がする…と。 最期を看取れない事が悲しいと…。だから、パグ蔵は、Nさんが来るのを待っててくれたのです。献身的にお世話をしてきたNさんが、いつも気にかけてくれてたNさんが、悲しまないように…と、パグ蔵自らが最期の時を選んだのです。Nさんが出勤したのを確認したかのように…Nさんに手をかけさせながら… パグ蔵は旅立ちました。 パグ蔵の最期は…かっこ良かった! 皆様のご協力ご支援どうかよろしくお願い致します。 宮崎銀行 加納支店 普通口座 104601 口座名義:動物たちの未来のために 代表 山下 由美 郵便貯金 17310-434961口座名義:イノチノハウスホゴヤ〒880-1222 宮崎県東諸県郡大字国富町八代北俣2581 山下 由美 090-4484-5165にほんブログ村