カテゴリ:大庭の歴史
それは、ある一枚の看板から 確か、以前に今の大庭城址公園の下に千秋寺があり そこで、羽鳥の耕余塾の分校として学校があったという話を 聞いたことがあったので、あれ、これは本当かといろいろ調べていくうちに どうも、その分校が発展してこの地図のところあたりにあったのでないかと思う ようになった。そのことがまさに、明治市民センターの図書室に資料にあった。 大庭村では小糸の千秋寺を仮学舎として大庭学校が起こされたとある。「皇国地誌」によると 1875(明治8)年に字台に新設され、1879年には生徒数97名(内、男子75、女子22)で、 教員が3名いたことが分かる。その後、羽鳥学校と合併して大庭学校となったが(1885)、 翌年、分離し村立大庭学校となった。1902(明治35)年、羽鳥学校の後進である日進学校と 合併した。これが現在の明治小学校の前進である。 宮本降治郎著 「城部落の今昔」 明治市民センタ図書室資料より引用 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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