春一番名附けの日 1859(安政6)年2月13日、壱岐郷ノ浦の漁師53人が五島沖で突風に遭い全員が死亡した。それ以前から、郷ノ浦の漁師の間で春の初めの強い南風が「春一」と呼ばれており、これが「春一番」の語源とされている。春一番の語源には他にも諸説ある。 1950年代からマスコミがこの言葉を使用するようになって一般でも使われるようになり、1985年からは気象庁が春一番の発表を行っている。 西行忌,円位忌 歌人・西行法師の1190(文治6)年の忌日。 亡くなったのは旧暦2月16日であるが、願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃 の歌より、15日を忌日としている。 2月15日は釈迦入滅の日であり、この前後に亡くなることは仏教の修業をする者にとっての憧れだった。 兼好忌 鎌倉時代末期から室町時代初頭の歌人で随筆『徒然草』の作者として知られる兼好法師(俗名・卜部兼好)の1350(正平5)年の忌日。ただし、1352年にはまだ存命だったとの説もある。 一般に「吉田兼好」と呼ばれているが、これは兼好の生家・卜部家が京都吉田神社の神官をしており、その子孫が吉田姓を名乗った為に後世の人がつけたものである。 |