近くの神社、お寺の梅
今日も、空は晴れ、気温も10度を超え快適近くの神社仏閣の梅見に散歩する宗賢院大庭神社自性院これが老木の梅かな?最近、時代小説を読んでいます寺社奉行で賭博、、などとありますが寺社と神社はどうちがうのかと疑問になりネットで調べると、神社=神道の神をまつる所 仏閣=寺の建物=寺=仏教の仏をまつる所 寺社=寺と神社のことと書かれていましたなるほど、ということは神社仏閣は寺社ということですね宗賢院宗賢院は、1505年(永正2年)の創建と伝えられる曹洞宗の寺院。 開山は虚堂玄白、開基は宝珠院殿華窓智栄大姉。 1649年(慶安2年)、徳川三代将軍家光から十石の朱印地を賜り、二世から四世までの間に末寺17ヶ寺が創建されたという。 寺宝に大庭景親の陣釜とされる茶釜や、面山老師自筆の『相州養命寺記』一巻、「相州大庭荘」の扁額が伝えられている(参考:養命寺)。 宗賢院の裏手には大庭景親の居館があったものと考えられている(参考:大庭城址)。大庭神社大庭城を拠点としていたという大庭景親が祀られている神社で、景親は、1777年(安永6年)に祀られた。 1783年(天明3年)には、菅原道真も祀られたことから「天神社」とも呼ばれている。 大庭城址の南を流れる引地川沿いの高台にある古社で、「延喜式内相模国十三座」に数えられていた神社。『延喜式』とは、927年(延長5年)にまとめられた全国の神社の一覧のこと。 成就院が別当寺を勤めていた。 大庭、稲荷の鎮守。 大庭神社は、かつては大六天の熊野神社にあったという。自性院江戸時代は、旗本中根氏が明治維新を迎えるまでの300年間知行していたといわれ、自性院は、石河山自性院龍見寺という浄土宗の寺です。浄土宗を開いた法然上人に帰依した石川の禅門、渋谷七郎入道道遍がこの地に住んでいたことから石川と呼ばれるようになったと伝えられています。 石川とは、小石が多い底の浅い川という意味があり、この辺りは古相模川が作った相模野礫層の砂利が露出しています。