2つのセカチュー
今日はガメラと一緒に買い物に出かけたついでに、本屋で『僕君』の文庫本を見つけて買って来てしまいました。さっそく得意の斜め飛ばし読みにて、読み終えた所です。本家の『セカチュー』とは逆に、最初の章が心に残りました。最初のシーンでずっと無言だったスホの心の声が書かれてあって、とても切なくなりました。そして今もなお心の居場所を定められないでいるスホを温かく迎える仲間達・・・スホの代わりに泣き、叫ぶ仲間達・・・映画には無かったけれど、暴風雨の中を彷徨い歩くスホの姿も涙を誘います。 悲しいけれど、何だか心温まる、スホと仲間達の関わり合い・・・この間、スホはどこで、どんな風に生きて来たんだろう・・・とふと思いを馳せてしまいます。 10年間封印してきた思い出を開いた時、そこには変わらない自分が居て・・・仲間が居て・・・もうスウンはいないけれど、目の前にはスウンの残した鮮やかなラベンダーの花畑が。 その花畑で寝転がってスホが見上げる空にはひとすじの飛行機雲・・・映画と同じように、穏やかで、静かな終章。最初の方の人魚伝説といい、あまりにもメルヘンチックでリアリティは無いけれど、だからこそ、ほっとする、そんな作品だなと思います。小説を読んでつくづく思ったけど、朔ちゃんとスホのキャラクターのように、これは全く別もの・・・って感じ。スホのように生きれたら、とても幸せなような気がするけれど・・・もったいないような気もするし・・・; ただ、死別と離別の大きな違いは、前者は「いないけどいる」って、こと。後者は「いるけどいない」ってこと・・・。これはシングルマザーになっていろいろ生き方を模索しながら本を読みあさっている時に出会った言葉だけど、同じ「父親がいない」という環境でも、子供にとっては大きな違いがあるのだと・・・。確かに亡くなった自分の父に関しても「いないけどいる」という感覚を拭うことはできないし。愛する思いが強ければ、そういう風に生きることも可能なのかな?そうあってほしいな・・・とも思ったりするものです。 ふと思えば、シングルになって7年目が来ようとしている・・・まるで最初からこの子には父親などいなかったような感覚・・・自分自身に対しても、子育てに関しても、結局いろいろ模索してみても、「なるようにしかならない」という結論;これからも「なるようになっていくんだろう」という何とも計画性のない・・・でも必死に生きていくことには変わりないのです・・・はい。 ところで、映画を見る暇が無い無いと嘆いている最中、たくさんの韓国映画がノベライズ化されていることに気づき、時間や場所に制約されない文庫本にはまりそう~な予感・・・これは『僕君』によるまた新たな収穫でもありま~す^^うふふ・・・