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カテゴリ:浜辺
今日は家内のリクエストでお隣今治市の織田が浜へ行きました。 ここには弧を描く砂浜と海の景観が美しい自然海浜公園が残されていました。 織田が浜は頓田川から「潟湖」と思われる水路までの約1.7kmが本来の姿でしたが今治市が蒼社川と潟湖側の約0.7kmを埋め立て、頓田川側の約1.0kmが残されて現在に至っています。 1980年代から90年代にかけ、白砂の浜辺を守ろうとした運動がありました。 反対運動で市民団体が主張していた「埋め立てられると、織田が浜への蒼社川側からの砂供給が絶たれ、織田が浜はやせ細る」「1973年に制定された瀬戸内法に違反する」というものでした。 1988年に松山地裁の判決では「漂砂の挙動については市民側の見解が正しいと認めながらも、それが埋め立てを違法とするほど重大かつ明白なものではない。」 とされ、1987年に埋め立てが始まり、1995年には最高裁で市民側の訴えは却下されたようです。 今治市は「市の発展のためには大きな船が入港できる港と企業立地が可能な場所が必要である。」「埋め立てを行っても残された織田が浜には影響しない」という環境アセスメントを行なっていました。 しかし、その反対運動のおかげでなし崩し的に埋立地が二期三期と拡張される事態は避けられたのではないかと存じます。 ただ現在の織田ヶ浜は遠浅とは程遠い状況になっている模様 弧を描く砂浜はきれいですが、岸辺が急に深まっているのが写真を見ても判るほどの急傾斜でした。 この写真を撮影後、埋め立て地の突端に行くと潮が来島海峡側に引き始めていたのか海面に小さな渦が見えていました。
この防波堤の向こう側が富田新、その向こうが来島海峡大橋です。 以下自宅近くの海辺(遠浅) 満潮近くの河口左岸突堤のカワウ 同右岸突堤のマガモ♂ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.06.12 01:41:03
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