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カテゴリ:小説書くよ!
《みかがみのぼく》 「――水面は嫌い。顔が映るから」 彼女はいつもそんな風に言っていた。歳不相応、という程ではないがそれでも年齢の割に随分と落ち着いたその声で。 もしかしたらこの子は「はしゃぐ」という行為すら知らないのかもしれない。そんな風にも思えるような落ち着いたその目で、彼女はいつも空を見上げていたのだ。 彼女がこの家に引っ越してきたのは今から六年ほど前。その頃の彼女は今よりももう少し喋る子供だったのだけれど。 そう、彼女は今年で十六になる、名家の令嬢だ。令嬢といえば鼻高々で嫌味ったらしいと相場が決まっているものだが、しかし彼女の言動に自惚れや自意識過剰な部分などは、少なくとも僕が見る限りでは全くない。 彼女のそのお嬢様らしからぬ性格を構成する理由はきっと彼女の顔、その右半分にあるのだと思う。いつも包帯に包まれた、その右半分に。 その包帯の下に何があるのか僕は見た事がない。彼女が僕の前に現れる時は、いつも包帯がその顔の半分を覆っているからだ。その下にあるのはもしかしたら切り傷なのかもしれないし、刺青なのかもしれない。何であるにしても僕がその包帯の下を知ることはないだろうし、何があるにしても彼女は僕にそれを喋らないだろう。そんな風に思っていた。 彼女は僕の前で、いつも一言二言話をする。それは独り言なのかもしれないし、僕に話し掛けているのかもしれない。しかし実際のところがそのどちらであるにしても、僕は黙って聞いている事しかできないのだ。彼女と僕は、触れ合う事はない。 今日も彼女はやって来た。しかしいつもと様子が違う。 「神様は私が嫌いなのかな」 寂しそうなその目でちらりと僕を見遣ったが、それでも直ぐに空を仰ぐ。 一体どうしていつも空ばかり見るのだろう。そんな僕の心情を見透かしたかのように、彼女は笑った。 「空は、人を映さないんだよね」 それは、完全に大人の微笑だった。僕が見てきた笑顔の中でどれよりも大人で、どれよりも切ない笑顔。 「私の醜さを映し出す水面は、嫌い」 冗談交じりに言って、彼女はその手袋を外す。 火傷の跡。少しだけ、彼女の包帯の下が判ったような気がした。 「温かさは要らない。温もりは要らない。ただ、それでも」 彼女は、僕に向けて。 その水面に向け、手を伸ばす。 「――少しだけ、浸かりたい」 ちゃぷり、と彼女と僕が重なった。 鏡を辞める事を僕に許したその波紋は、僕の胸の震え。 運命に訊く。 僕はいつか彼女の美しさだけを映せる、そんな鏡になれますか。 答はきっと、もう決まっているのだろう。それもまた、面白い。そんな風に、思った。 《Fin》 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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