|
カテゴリ:出来事
衣更えに実家に日帰りました。衣更えの季節になると、いつも収納部分の大切さを痛感します。あればこんなに往復することもないのに・・・
昼ごはんを食べながら母といろいろ話しました。しょっちゅう帰っているわりには、いつもはゆっくりご飯を食べる事があんまりないから、あんまり話していなかったかも。そのうち、仕事を辞めたら、今のような暢気で勝手気ままな生活はできなくなるよって話になりました。最近家計簿を見返すようになったので、私もそう思います。 話が横道にそれますが、私は家計簿をつけているくせに、つけっぱなしで振り返ったり分析する習慣がありませんでした。もともと飽きっぽいのでお小遣い帖すらつけられなかったのに、家計簿をつけはじめたのは、パソコンを購入したからでした。8年前、パソコンを手に入れたけど、使い方が全くわからず、数ヶ月間インターネットにすら接続できませんでした。同じ機種で一つ古い型をもっていた弟は、自分で勉強もできないものは買う資格はないって感じであんまり教えてはくれませんでした。そんな私にできた事、それはあらかじめ入っているソフトの閲覧でした。そして、その中にあった家計簿ソフトにお小遣いと日記をつけ始めたのでした。これは、当時の私にとって唯一のパソコン活用方法だったから楽しく習慣づきました。おかげで、ありがたいことに8年間分の家計簿がわかります。8年前は前の職場で働いてて実家暮らしでした。今と比べてみると、暮らしぶりが違うのがわかって面白いです。 実家にいた頃と今の家計簿の話を母としてたら、節約生活の話になりました。子供の頃、自分の家はとても吝嗇だと思っていました。子供なので、友達みたいに玩具や漫画や服が買ってほしかったけど、父母は買ってはくれませんでした。プラスチックの玩具が嫌いだった父が、木の玩具など自分の眼鏡にかなう玩具以外は買う事は勿論もらうことも嫌がった事、同じく父が漫画が嫌いだった事、服は従姉妹のお下がりをもらったり、洋裁学校を卒業してた母が作ってくれていた事は、大人になってから納得できるようにはなりました。でも、当時はひたすら自分の家が貧乏だからだと思っていました。 今回、また一つ新たな事実を知りました。 小学校中学年の時、祖父が亡くなって祖母と同居することになりました。ぼっとん便所やおくどさん、土間に井戸まである家はさすがに・・・だったので同居に際してリフォームされました。でも何故か中途半端なリフォームでした。その一つは洗面台。蛇口には温かい水と冷たい水がでるはずのカランがついているのに、我が家の蛇口からは冷たい水しかでませんでした。私は子供心に、うちが貧乏だから温かい水がでないんだと思っていました。しかしそうではなかったようです。今回、母は言いました。「あんたがお嫁に行った時、もし実家より不便な家に行くことになったら苦労すると思ってな。だからリフォームしても快適な家にはしないようにしたのよ。だけど、冷たい水しかでない洗面台はないって言われたから、蛇口には温かい水がでないカランまでついているのよ」って。その発想と行動に驚愕でした。親の心子知らず・・・ こんな生き方になってしまってごめんなさい。でも私はわりと幸せに暮らしているつもりなんだけどな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|