尾上神社・加古川・高砂海浜公園
「石の宝殿」に行く前に少し周辺を銀輪散歩してみようと、加古川駅でJR新快速を下車。加古川駅前でトレンクルを組立て出発、一路南へ。 泊(とまり)神社というのに出くわした。説明書きには、「神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから泊神社が起こったといわれています。祭神は天照大神、少彦名神(すくなひこなのかみ)、国懸大神(くにかかすのおおかみ)です。現在の社殿は、承応2年(1653)宮本武蔵の養子、宮本伊織が改築した時のものといわれています。一歩足を踏み入れると境内は広く、南北朝時代の石弾城の石垣と思われるものや宮本伊織寄贈の花崗岩製の灯篭、市指定文化財の36歌仙図絵馬が残っています。」とある。(泊神社) 高砂と言えば、尾上の松(相生の松)である。土地の人に道を尋ねながら、尾上神社を目指す。(尾上神社)(五代目尾上の松<相生の松>)(相生の松)(都恋ひしき片枝の松) 境内に入ると姿振りのいい松が植えられている。尾上の松、相生の松という訳である。誰をかも 知る人にせむ 高砂の 尾上の松も 友ならなくに (古今集)たれをかも しる人にせむ 高砂の 松もむかしの 友ならなくに (藤原興風 小倉百人一首) 相生の松と来れば、謡曲「高砂」ですな。「今を始め乃旅衣 今を始め乃旅衣 日も行く末ぞ久しきそもそもこれハ九州肥後乃国阿蘇乃宮の神主友成とハ我がことなり」で始まるこの能のあらすじは次の通りである。 時は春の初。所は播州高砂の浦。 阿蘇の宮の神主友成が、都見物の途次、「高砂の浦を一見せばや」と立ち寄り、浦の美しい景色を眺めています。 そこへ、熊手を持った老翁と杉箒を持った老婆がやって来て、松の木陰を掃き清める。 友成は、この老夫婦に、高砂の松というのはどれか、国を遠く隔てた高砂の松と住吉の松とを何故相生の松というのか、高砂の松のめでたいとされる謂われは何か、などを尋ねる。 夫婦は、「たとへ遠く離れていても夫婦の仲は心通うものだ。」とし、相生の松は万葉、古今の歌枕に詠まれているなどの故事を引いて詳しく説明し、実は私達がその相生の松の精なのだと打ち明け、住吉でお待ちしましょうと言って、夕波打ち寄せる汀にあった小舟に乗って沖の方へと消え失せる。 そこで友成も舟に乗って住吉に行くと、住吉明神が現れて、御代万歳・国土安穏を祝って神舞を舞う。 相生の松の「相生」は、「相老い」(ふたりして共に老いる)が掛けてあるとのことですが、遠くはなれた夫婦松(相生松)は、今風には、遠距離恋愛のことや単身赴任のことなども思われますな。要は心さえ通っていれば、ということですかな。 尾上神社から加古川に出て相生橋を渡る。河口に近いから川幅も広く、加古川は悠々と流れている。葦の紅葉が美しい。(加古川・相生橋の上から) 相生橋を渡り、加古川沿いの自転車専用道を海辺へと走ると、終点が「高砂海浜公園」である。 こじんまりした人口の砂浜であるが、なかなか美しい。折しも潮が満ちて来るのか、波が絶え間なく打ち寄せて、白く泡立ち、砕けて消える。(高砂海浜公園)高砂神社を目指すが分からず、今日の本来の目的地「石の宝殿」を目指して、自転車を走らせることに。(石の宝殿は前頁をご参照ください。)