古市古墳群めぐり
本日の銀輪散歩は南方向へ。 花園中央公園から恩智川沿いのいつもの道を辿って、八尾市、柏原市を過ぎ、大和川を渡り、藤井寺市・羽曳野市へ。応神天皇陵など古市古墳群のある辺りを巡ることにしました。と言うか、走っているうちに何となくそんな成り行きになったのでした。 大和川の支流、石川に別れを告げ、西に向かって最初に出くわしたのが、国府八幡神社。その奥に臨済宗永源寺派の寺、潮音寺がある。(国府八幡神社)(潮音寺) 潮音寺の門前に「孝女衣縫氏碑」と刻まれた石碑があった。この地に次のような孝女伝説があるらしい。 「平安時代、仁明天皇の頃、この地区に衣縫造金継という者がいたが、彼の娘は大変親孝行であった。娘12才の時、金継が亡くなるが、娘は墓参りを絶やすことなく、母親にも孝行を尽くした。適齢期になり、母親は良いところへ嫁がせようとするが、娘は『母様を残して嫁に行く位なら死んだ方がまし。』と言って断り続ける。母親が死んだ後も、独り身で両親の墓を守り通した。」 親の立場からすると、「それ、ちょっと違うだろう」と小生なんかは思うが、その孝女の墓がこの寺の境内にあるらしい。(允恭天皇陵・市野山古墳) 潮音寺の裏手(藤井寺市国府1丁目)に、5世紀後半築造と推定される前方後円墳、市野山古墳がある。第19代允恭天皇陵とされている。(志貴県主神社) 允恭天皇陵を左に見て、潮音寺から北に行くと志貴県主神社がある。この付近に河内の国府があったらしい。神社の境内に河内国府址の碑がある。 柏原から道明寺にかけての地は、大和朝廷の直轄地で、「河内の志貴の県」と呼ばれた。これを管理する豪族が、神武天皇の長子、神八井耳命を始祖とする志貴氏(志貴首)であった。 そんな訳でこの神社は、神八井耳命を主神として祀っている。「明日香風」、「垂水の上のさ蕨」の志貴皇子の名も思い出されて・・。(応神天皇皇后仲津姫陵・仲津山古墳) 允恭天皇陵の南西にある前方後円墳。この古墳と背中合わせのようにしてあるのが、古室山古墳。(古室山古墳)(大鳥塚古墳) 古室山古墳から西名阪自動車道高架下を潜って南に行くと、赤面山古墳(方墳)、大鳥塚古墳(前方後円墳)、丸山古墳(円墳)を経て、巨大前方後円墳の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)へと続く。大鳥塚古墳までが藤井寺市、丸山古墳から羽曳野市となる。(応神天皇陵入口)(誉田御廟山古墳・応神天皇陵) 応神陵は余りにも巨大に過ぎて、息子の第16代仁徳天皇陵とされる大仙古墳と同様に、空から見るのでなければ、その大きさがよく掴めませんな。(道明寺山門)(道明寺本堂) 道明寺経由して、再び、石川に戻り、石川自転車道を走って、大和川で、二上山を遠望し、帰途に。 朝9時過ぎから午後2時過ぎまでの炎暑の中の銀輪散歩始末記、これにて終了。(石川・大和川の支流)(大和川から二上山遠望) 以上、前回は、自宅から見て、北方面の近隣紹介でありましたので、今回は南方面の近隣を紹介申し上げました(笑)。 ○応神天皇・ 允恭天皇 ○古市古墳群の古墳(藤井寺市分)の写真はコチラをご覧下さい。