(続)明日香小旅行・読書会の仲間と
(承前)明日香小旅行2日目です。 朝9時少し前に祝戸荘を出発。智麻呂さんの車椅子は小生が押すことに。持参の折りたたみ自転車・トレンクルは謙麻呂さんに預ける。飛鳥川沿いに下って行くグループと稲渕宮跡の方を回って石舞台公園の最上部から入るコースを行くグループに別れて、石舞台の下での待ち合わせとする。遠回りとなるが、車椅子で行くには最上部から入る方が楽だし、眺望もその方が良かろうという偐家持の判断。車椅子を押しながら、トレンクルの謙麻呂さんと恒郎女さん、小万知さんらと行く。凡鬼さんは車で先回り。 空は青く晴れ渡り、朝日のさやけき光がススキの白き穂と木々の黄葉を照らし、吹き来る朝の明日香風も澄んだ気に満ちて、冷んやりと頬に心地良い。智麻呂氏が明日香のこの風景を心から楽しんで居られる気配が伝わって来て、こちらも楽しくなる。公園に入ると更に紅葉・黄葉が間近くなり、あれやこれやと指さしながら行く。風舞台・夢の市茶屋の辺りで皆と合流。ここで、香代女さんが所用で帰途につかれ、他の12名で犬養万葉記念館に向う。 (犬養万葉記念館) 犬養万葉記念館では、犬養先生と歩く大和路などのビデオをたっぷり見せて戴き、館内の展示などを見学、暫し、犬養万葉ワールドに心遊ばせる楽しさを味わうことを得ました。 記念館を出て、板葺宮跡遺跡から飛鳥寺を経て飛鳥坐神社まで散策することに。 (万葉歌碑・平山郁夫氏揮毫) 犬養万葉歌碑第1号がこれと同じ歌で、それは、向いの甘樫丘にあるのだが、車椅子では行くことが出来ぬ(前ページ参照)。そこで、この歌碑を代用にすることとし(おっと失礼、平山画伯様。)、この前で全員の記念撮影。 (注)昨日12月2日平山画伯がご逝去されました。(享年79歳) 衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。(12月3日追記) (板葺宮跡遺跡から飛鳥寺への周遊道) 遠くに見える人影は読書会の面々である。この辺りは万葉で「(大口の)真神の原」と呼ばれた原野にて、「いたくな降りそ家もあらなくに」という寂しい場所であったようだが・・。大口(おほくち)の 真神(まかみ)の原に 降る雪は いたくな降りそ 家(いへ)もあらなくに (巻8ー1636舎人娘子) 大口能 眞神之原尓 零雪者 甚莫零 家母不有國(<大口の>真神の原に降る雪は、ひどくは降らないで欲しい。その辺りには家も無いので。) (甘樫丘) 甘樫丘を左に見つつ、蘇我入鹿殿の首塚にお参り(墓には花が飾られ、草餅が2個お供えしてありました)。付近にはピンクのコスモスの花が咲いて、蝶(ツマグロヒョウモン?)が1頭舞い遊んでいる。恵郎女様が携帯でそれを写真に撮ろうとなさるが、写そうとすると、飛び立ち、不首尾でありました。 飛鳥寺を過ぎ、飛鳥坐神社に到着したら、丁度正午。石階段を上って境内を見学する人の帰って来るのを待ちつつ、待機組は神社脇の運河遺構「狂心(たぶれごころ)の渠(みぞ)」<説明板の英訳ではwildheart canalとなっていましたな。>や小さな実を沢山付けた柚子の木やらを眺めながらの四方山話。 全員戻って来たので、引き返すこととし、サイクリング組が自転車を楽しんでいる間、智麻呂氏ご夫妻と凡鬼さんが過ごされた県立奈良万葉文化館の前まで戻って来て、隣にあるレストラン「酒船亭」で昼食に。槇麻呂殿と祥麻呂殿は亀型石造物遺跡の見学に行かれたが、後方を歩いていた、謙麻呂殿、恵郎女様、恒郎女様の姿が見えない。和郎女様が探しに行って下さったが、見当たらない。槇麻呂・祥麻呂ご両人の姿を見て、彼らも亀さんの方へ入場されたもののようでした。ユー・アー・ウェル亀でした。 昼食後、凡鬼さんの車が停めたままの犬養万葉記念館駐車場に戻り、ここで解散。凡鬼さん・景郎女さんご夫妻と智麻呂さん・恒郎女さんご夫妻の4人は凡鬼さんの車で一足早い帰途に。残った謙麻呂、恵郎女、小万知、祥麻呂、和麻呂、槇麻呂、和郎女、偐家持の8人は飛鳥駅まで歩くつもりでいた処、バス停があり、時刻表を見ると午後1時58分発橿原神宮前駅行きバスがすぐに来ることが分り、皆、バスに乗ることとなる。 かくて、偐家持もお役ご免となったので、そこで皆と別れて、自転車で帰ることにする。自宅までとも思ったが、途中で気が変り、奈良までにする。 (唐古・鍵遺跡) (唐古池の東側から復元高楼を望む。) 近鉄八木駅付近まで飛鳥川辺を走り、そこからは、国道24号やこれにに平行する道を北上する。 唐古・鍵遺跡が目に入ったので、立ち寄ってみた。この遺跡はかつて高楼の描かれた土器片(1世紀頃のもの)が出土して注目を浴びたものだが、今は訪れる人も余りなくて、復元された高楼の建物も寂しそうである。 (唐古・鍵遺跡から東方の山を望む。後方の山並の麓に、 山辺の道が続いている。右手に形のいい三輪山が見え ている。) (唐古八坂神社) この神社の脇に「田中荘」の説明看板がある。それによると唐古池の東に小字田中という地があり、その辺り一帯が田中荘と考えられるとのこと。田中荘は、紫式部の夫となった藤原宣孝が所有していた荘園である。彼と式部との結婚生活は2年に過ぎないから、式部がこの地に立った可能性は低いように思うが、この地に紫式部の姿を重ね合わせて眺めると、その風景も何やらゆかしいものに見えて来るから面白い。 (田中荘付近のススキ原) (帰仁橋から大和川下流を望む。) 大和川もこの辺りまで上流になると、小川である。更に上流に行くと、万葉では、三輪川とか初瀬(泊瀬)川と呼ばれる川となる。 (佐保川) 天理市、大和郡山市を経て奈良市となる。佐保川の近くまで来たので、もみぢや如何にと佐保川の川辺の道を走ることに。桜並木の紅葉が、もう盛りが過ぎている気もするが、実に美しい。 (佐保川畔の道) 近鉄奈良線の新大宮駅に4時半頃に到着。約2時間半のオマケ銀輪散歩でありました。距離としては20数キロ。脇道に入ったりの寄り道もしているが、30キロは走っていないだろう。自転車を折りたたんでバッグに入れて、電車で帰途に。帰宅したら、もう暗くなっていました。 (佐保の桜の秋もよかりき)