土塔を訪ねて
偐山頭火氏からのお誘いで昨日(29日)は自宅から堺まで銀輪散歩して参りました。目指すは「史跡土塔」。堺市土塔町にある我が国で唯一の土で造られた仏塔である。南海高野線「初芝駅」から南西2kmの位置にある。 朝9時近鉄八戸の里駅前待ち合わせ、ということで、余裕を見て8時5分に自宅を出る。8時30分駅前到着。早く着き過ぎたので小坂神社や司馬遼太郎記念館の辺りをぐるりMTB散策して駅前に戻るが、偐山頭火氏の姿は未だ見えない。(小坂神社) 小坂神社は天正20年(1592年)に、この地域を開拓するに当たり18軒の家が水利至便、五穀豊穣を祈願するために、この地に天水分神、国水分神を奉祀したのが起因とのこと。水分(みくまり)とは水を配り与える神、灌漑を司る神であるが、「みくまり」が「みこもり」(身籠)となり、更に「こもり」(籠)と変化して、「小坂こもり宮」となって、安産、子授けの神社として近郷の崇敬を集めたとのこと。明治5年に現在の「小坂神社」に改称された。 9時直前になって偐山頭火氏より携帯に電話あり。彼は夜来の雨が明け方になっても降り続いていたので、中止・順延を小生にメールして、そのつもりでいたようだが、(メールを見ていない)小生が既に駅前に来て居り、好天気になっているとあっては、出掛けざるを得ず、「直ぐ行くので小阪駅に移動してくれ」とのこと。9時20分頃に偐山頭火氏到着。コースは彼に任せて、小生は彼の後を走る。JR大阪東線に沿うように走り、関西本線を越えて平野の町を抜け、高野大橋で大和川を渡って松原市に入る。(瓜破天神社) 神社の説明板によると、「瓜破(うりわり)の歴史を記録した船戸録によると、孝徳天皇の大化年中<645~649年>当地に居住された高僧、船氏道昭が、五月晦日三密の教法観念の折、庵室に光る天神の尊像が現れたので、西瓜を割って霊前に供えた。道昭は朝廷に上申した処、方八丁の宮地を賜り、この霊像を祭祀して当所の氏神として崇め奉り、西の宮又は方八丁の宮と称したのが当社の起源であると記されている。」とのこと。 因みに、この道昭さんは、唐に渡り玄奘に師事して法相教学を学び法相宗を伝えた人物であるが、日本で最初に火葬に付された人物でもある。(高野大橋から望む大和川) 国道309号に出て南へ。松原市から堺市美原区(旧美原町)に入ると大保地区の辺りに日本鋳物師発祥の地の碑がありました。この西側に日置荘(ひきしょう)という地名があるのも偶然ではないのかも。日置(ひおき)は、井奥や伊吹と同様、「火吹き(ひふき)」と通じ、製鉄にかかわる集団に関係する地名であるのだから。(日本御鋳物師発祥地碑) 奥に見えるのは鍋宮大明神の碑。鍋宮大明神は千余年以前この地に居住していた御鋳物師達がその祖神、石凝姥命を主神として祭祀した神社であったが、明治元年廃され、今は南にある広国神社に合祀されている。 広国神社を過ぎた処で右折、西へ。南海高野線初芝駅に向う。 初芝駅前の踏み切りを渡って、西南西に約800m、立派なお社が見えて来る。出雲大社大阪分祠である。ちょっと立ち寄ってみる。(出雲大社大阪分祠。左・偐山頭火、右・偐家持のMTB) 出雲大社にお別れして南西に1km余行くと、目的地「土塔」である。この付近一帯の地名にもなっていて、土塔町という。 最近、復元整備されたとかで、土塔町公園の一角にその端正な姿を誇っている。まあ、余り目にしない構造物であるから一見の価値はあるだろう。(史跡土塔・南西面)(西面)(北面)(土塔模型)(案内板) 土塔は、一辺が約53.1m、高さ約8.6mの我が国唯一の土造のピラミッド状の仏塔で、行基さんが造ったと伝えられている。 (参考) 土塔の文字瓦 さて、時計を見ると12時10分前。空腹を覚えたので、土塔はこれまでと、食事の出来る店を探しに・・。本日はここまで。昼食後の帰路は明日ということで。本日もお付き合い戴き有難うございました(笑)。