銀輪花遍路(その10)・ギボウシ、ヒオウギ、ケイトウ、タデ
本日の銀輪散歩は花遍路として纏めてみました。 先ず目についたのはギボウシ。道端に群生していましたがこのように群れているのも珍しい。 (ギボウシ) (同上)<追記:2011.8.30.> ブログ友のビッグジョンさんのブログの本日(30日)の記事に、ミズギボウシ(水擬宝珠)が掲載されていました。どうやら小生の上の花も擬宝珠ではなく水擬宝珠であるのかも知れません。葉を確認することがポイントのようですが、不案内の小生は勿論確認出来ていません(笑)。 で、同氏のブログに下記の歌を記してお茶を濁して置きました。葉も見ずて 擬宝珠なりと わがせしは 水擬宝珠の 花にやあらむ (偽宝珠) 芙蓉の花かと写真に撮りましたが、今よく見ると葉の形状が違いますな。葵の仲間かムクゲの仲間かよくは分りませぬが、美しい花にて、道の辺にひと際目立って咲いているのでありました。(オニヤンマ) このオニヤンマは生きたオニヤンマではありません。道端に倒れ死んでいたもの。道の辺の羊歯の葉にとまらせ、弔いの写真を撮って上げました。 聖徳太子の歌として万葉集に出て来る下記の歌のことなども思い出されました。家にあらば 妹が手まかむ 草まくら 旅に臥(こや)せる この旅人(たびと)あはれ (巻3-415) まだ気温は夏のそれにて銀輪家持は汗だくなのであるが、蝉の声もツクツクボウシに変り、吹く風にも秋が忍び寄っているのでしょう。オニヤンマも夏休みの終焉と共にその命を終えるのでありますな。 では、偐家持も本歌取りにて1首。夏ならば 王者と飛ばむ 秋風の 道に臥せる このヤンマあはれ (蜻蛉太子)(ヒオウギ)(同上)詠まれざる 花にしあれば 桧扇の 咲きてむなしく 散らまく惜しも (偐家持) 以前にも書いたが、この桧扇の種が「ぬばたま」で、黒、夜、髪、夢などの枕詞として使われる、和歌に頻出の詞である。一方花の方は歌に登場しない。可憐な花なのに不思議である。百合に比べると野暮ったい感じは否めないが、小生などはその野暮ったさも含めて百合よりも可愛いと言うか、好きである。万葉の素朴な歌には似合いの花だとも思うのだが、どうでしょう。<参考>ぬばたま(2008.8.27.)(ヒオウギ)(ケイトウと山)遠山に 立ちぬる雲の いちしろく 咲きて恋ふらし 野辺の韓(から)藍(あゐ) (偐家持) ケイトウは万葉では「韓藍」と言ったというのは、先日のブログ記事でも述べましたので説明は省略。(タデと山) 蓼喰う虫も好きずきでありますが、たでも亦色々なのである。上のタデはオオベニタデ(大紅蓼)ですな。タデの中では一等立派で華やかで美しい。背丈も高く見上げる程にもなる。秋されば 大紅蓼の 花越しに 雲立つ山の 見らくしよしも (偐家持)(イガグリ) 道端に若いイガグリがころり。見上げると頭上に栗の木。風の悪戯か悪さ烏がつついたか、稔りの秋を待たずに地に落ちてしまった栗の実です。マリモではありません(笑)。イガグリも 落ちてビックリ シャックリも ギックリガックリ ソックリ返る (徳利麻呂)<追記・注>縦長写真(ギボウシの写真など5枚)が横倒しになった歪んだ画像になってしまっていたので、2020年10月29日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.