岬麻呂旅便り・越前大野
友人の岬麻呂氏の旅便りのハガキとE-meilによる写真画像が届きました。先般の北海道旅行の際に飛行機から見えた盆地の景色が気になって、調べたらそれが越前大野であったので、車を走らせてそこへ行ってみた、という何ともはや、偐家持も舌を巻くしかない、往復750kmのロングドライブ一人旅の旅便りでありました。 もっとも、金沢に所用があって日帰りで出掛ける心算の処、「気になった盆地」のことを思い出し1泊2日のミニ旅行にされたというから、まあ、ついでの旅行ということで、納得ではありましたが・・。 先ず、同氏が北海道旅行の際に飛行機から撮られたという写真からご紹介です。(白山と御母衣湖) 上の写真のダム湖が先ず同氏の目を引いたようであります。一瞬は黒部ダムかと思われたそうですが、ダムの形状が異なるということから、御母衣湖であることが判明したとのこと。そして、視線を上に転じて目に入ったのが、下の写真にある、白く雪に覆われている盆地。この盆地の市街は何処だろうと思われたことが今回の旅の契機であったということであります。(越前大野市 写真中央やや上左寄りの盆地の白い市街地) 金沢での所用を済まされた後、最初に訪問されたのは、丸岡城。(丸岡城) <参考>丸岡城・Wikipedia 丸岡城は小生も昔に訪ねています。調べてみると、91年10月12日に銀輪散歩で福井・足羽山~志比堺・手繰ヶ城山古墳~丸岡城~三国港と廻っていますので、この時に立ち寄っているようです。もう20年以上も昔のことになりますから、ブログには登場しませんが、今となってはどういうテーマで廻ったものか定かではありません。継体天皇とその母の振姫のことが念頭にあったことは確かですが、立ち寄り先は余り関係がありませんですな。2日目は東尋坊から芦原温泉ですから、いよいよ関係ない(笑)。 話が脱線しました。丸岡城の次の訪問先は越前大仏と勝山城博物館。両者共に地元出身の実業家・多田清氏(相互タクシー創業者)が祖先の地に建立したものとのことで、なかなかに立派な建物、壮観であります。もっとも、小生は寡聞にして、今回初めて知ったのではありましたが。(越前大仏殿 後方に勝山城博物館が見えている。)(越前大仏) <参考>越前大仏・Wikipedia(勝山城博物館) <参考>勝山城博物館・Wikipedia 次は、大野城。大野城と言うと万葉的には大宰府の大野城の方を思い浮かべてしまいますが、こちらは、戦国時代、一向一揆を平定した恩賞として織田信長から越前国大野郡内に3万石を与えられた、金森長近が天正4年(1576年)に築造した城である。(大野城) <参考>大野城・Wikipedia そして最後は、戦国武将朝倉義景に所縁の一乗谷朝倉氏遺跡。 此処は、小生も訪ねてみたいと予てより思っていた地ですが、未だ果たして居りません。 友人の偐山頭火氏もブログでこの地の訪問記を既にアップされていますから、岬麻呂氏とも併せ、友人二人に先を越されたこととなりました。 <参考>偐山頭火氏のブログ記事 旅の途中で「一乗谷朝倉家遺跡と永平寺」2009.11.12.(一乗谷朝倉氏遺跡)<参考>朝倉義景・Wikipedia 戦国大名越前朝倉氏の城下町を復元した一乗谷遺跡 <関連記事>過去の岬麻呂旅便りの記事はコチラからご覧下さい。