飛鳥川銀輪散歩
PCの不調が続いて居り、いつご機嫌を損ねてフリーズするやも知れませんが、今のところ何とか回復して作動して居りますので、手早く記事をアップしてしまいます(笑)。 先日、飛鳥川などを久し振りに銀輪散歩して参りました。 飛鳥川自転車道は何度となく走っている道であるが、それでも新発見などがあるものです。その一つがこれ。八木札の辻交流館です。近鉄八木駅前の喫茶店で昼食を済ませて、横大路を東へとやって来ると、これがありました。(八木札の辻交流館) 古代からの道、下ツ道と横大路とが交差するこの場所にあった旧旅籠が、整備されて一昨年(平成24年)7月から無料で一般公開されているのでありました。江戸時代の旅籠の様子がよく分る建物で一見の価値があります。ボランティアでしょうか、女性の案内の方の説明も懇切明解でとても参考になりました。 偶々、大津から来られたというご夫婦と此処で行き合いましたが、ご案内の女性やこのご夫婦の方々との立ち話も、何やらご近所さんんと語らっているみたいな親近感が自ずと生まれて、なかなかいいものでした。(やぎまち・下ツ道 建物は河合源七郎家住宅) 下ツ道や横大路については、下記参考をご参照下さい。 <参考>大和の古道・Wikipedia(やぎまち・横大路) 横大路との交差点から、下ツ道を100m位北へ行った場所に芭蕉の句碑がある。今回こちらにやって来たのは飛鳥川べりを走る前にこの句碑を撮影しようとやって来たのでありました。すると八木札の辻交流館が目に入った次第にて、何やら得をした感じでした。(芭蕉句碑)草臥(くたびれ)て宿かる比(ころ)や藤の花 笈の小文(猿蓑・葛の松原) <参考>「笈の小文」では、本文「旅の具多きは道ざはりなりと物皆払捨たれども、夜の料にとかみこ壱つ、合羽やうの物、硯・筆・かみ・薬等、昼笥なんど物に包て後に背負たれば、いとゞすねよはく力なき身の、後ざまにひかふるやうにて道猶すゝまず。たゞ物うき事のみ多し。」に続いて上の句が置かれている。(同副碑) 飛鳥川自転車道に出てこれを南へと走る。(飛鳥川自転車道) おふさ観音の前辺りから500mほど飛鳥川沿いに上流へ行くと鷺栖神社というのがありました。この神社はこれまで立ち寄った記憶がないので覗いてみました。 すると、境内に人麻呂の万葉歌碑。ラッキーな遭遇であります。(鷺栖神社)(同上・本殿)(同上・由緒略記)(人麻呂・万葉歌碑)ひさかたの 天(あめ)知らしぬる 君ゆゑに 日月(ひつき)も知らず 恋ひわたるかも (柿本人麻呂 万葉集巻2-200) この歌は、高市皇子薨去を悼んで人麻呂が詠んだ長歌(巻2-199)の反歌2首のうちの一つである。クイズ風に言うなら、この人麻呂作の長歌が万葉集中最長の歌である。また、最短の歌は「春楊 葛山 發雲 立坐 妹念」(春柳 葛城山に たつ雲の 立ちてもゐても 妹をしぞ思ふ<巻11-2453 柿本人麻呂歌集>)である。(同副碑) 鷺栖神社を出て更に上流へ。人麻呂歌碑と来れば、雷丘の犬養万葉歌碑も見て行かねばなるまいと、雷丘に向かう。(雷丘<左>と甘橿丘<右>) 右からせり出している丘が甘橿丘。丘の頂きの2本の木が特長です。竹林を挟んで左端にある小さな丘が雷丘である。(雷丘)(人麻呂歌碑・背後は畝傍山) 飛鳥川を挟んで背後に遠く畝傍山が見えるが、この歌碑は雷丘の歌であるから、横から撮りましょう。(同上・後方は雷丘)大君は 神にしませば 天雲(あまぐも)の 雷(いかづち)の上(うへ)に いほらせるかも (柿本人麻呂 万葉集巻3-235)(雷丘頂上から香具山を望む。) 雷丘に登ったことがあったかどうか記憶があやふやなので、登ってみることに。南東角に細い登り道がある。頂上は直ぐであるが草茫々、木立に遮られて眺望はきかない。香具山方向だけ少し眺望が。 橿原神宮前駅まで来て、東口の案内板を見ると岡寺の駅の裏にも万葉歌碑があるよう。で、岡寺駅まで行ってみる。駅の裏には牟佐坐神社というのがありました。(近鉄吉野線・岡寺駅)(牟佐坐神社) 写真の正面石段の左に入った処に歌碑はありました。 石段を上ると拝殿。(同上・拝殿)(人麻呂歌碑) 歌碑の歌は人麻呂の泣血哀慟歌・巻2-207と巻2-210とある中の207番の歌の後半部である。全文引用したいのですが、長歌ですから、字数制限で無理のようです。コメント欄に記載して置きます。