藤原百川の墓・相楽神社から平城宮址へ(下)
(承前) 藤原百川の墓から始めた銀輪散歩記事も今回で完結です。今日は仁徳天皇の皇后・磐之媛の御陵から始めます。(磐之媛陵) 写真のわが愛車トレンクル。ハンドルの左グリップの処をご覧戴くと分かりますが、ブレーキ・ハンドルが上にくっついてしまっています。この状態でブレーキが掛かっていないのですから、右ハンドルのみが頼りの銀輪走行で、此処までやって来ました。(同上) 磐之媛は万葉集第2巻冒頭に4首の歌を残す、古代を代表する女性。彼女のことやこの御陵は何度か当ブログに取り上げていますので、次の歌1首を記載して置くにとどめます。秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いづへの方に わが恋やまむ (磐媛皇后 万葉集巻2-88)<秋の田の稲穂の上にかかっている朝霞、その朝霞のように私の恋の思いが消え去るのはいつのことであるのか。> (参考記事) 1.磐之媛皇后と光明皇后 2009.4.20. 2.佐紀・秋篠川逍遥 2008.4.28. 3.奈良自転車道銀輪散歩(平城京址公園から般若寺へ)2010.3.10. 4.奈良銀輪散歩 2010.11.7.(堀には未草が咲き) 濠には睡蓮の白い花。未草ですな。参道脇には草が御簾の風情に生え、そより秋風に靡いているのでもありました。(草の御簾)恋ふれども とふは風のみ 玉垂れの 御簾のうちにも 恋はかなしき (偐家持)(秋大空へ今ぞ翔べ) 近くに寄っても見ると、白き穂から絮(わた・じょ)が飛び立とうとしているのでありました。柳絮と言うと春の季語であるが、タンポポやノゲシなど秋も亦「絮」の季節。風待ちていざ大空へ飛べよかし、であります。 この辺りは佐紀、佐保の地。佐紀は「先、咲き」と通じ、佐保は「さ・穂」とも通じるから、穂先に咲き出でたる綿毛の絮は、この地に相応しい、などとこじつけてもいるヤカモチでありました(笑)。(糸トンボ 添ひてたぐひて・・) コチラはトンでないトンボ。トンボも恋の季節と見えてカップル。トンボは産卵期にあるメスを見つけるとこのように尻尾でメスをフック掛けにして確保、何処へ行くのもこのように連れ歩くのでありますな。メスの権利は・・などという声は今の処、トンボ世界では上っていない。(同上・孤独なるもよし・・) あっしには関わりのねえことにござんす。 It's none of my business どこの世界にも紋次郎はいるものであります。(磐之媛陵の前の自転車道) 御陵の前は奈良自転車道が通っている。奥へ行くと黒髪山へ、背後をずっと行くと大和郡山へと続く。写真の自転車道の奥で右に曲がった処にあるのが次の万葉歌碑。(中臣女郎の歌碑) これも既に取り上げている(上記参考1.の記事参照)が、大伴家持さんのガールフレンドの一人中臣女郎が家持に贈った歌である。女郎花 佐紀沢に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも (中臣女郎 万葉集巻4-675) こんな恋は初めてのことよ、と言って来た彼女に家持さんはどんな歌を返したのでしょうね。「花かつみ」はアヤメ、ノハナショウブ、マコモ、ヒメシャガ、カタバミなど色々と説があって何とも定まっていない。(水面に映す影清み 生駒青山西にはるけし) 上の歌の佐紀沢はこの水上池のこととされている。水際には葦が生えていますが、花かつみはこの葦の花のことだとする説もある。花かつみ みなもに映す 影清み 生駒の山も はるけく青し (偐家持)(水上池) かつては釣り池だったが、今はその残骸を残すのみ。 人工物はなべてその役割を終え用なきものになりたるがよし。わけても朽ちて行きつつある様こそ美しく、いと「をかし」なのである。自ずと自然の景色に馴染み調和しているのがいい。(芒が原) 池の反対側は平城宮址公園に向かって一面の芒が原。それとも葦原か? 風が渡って行く。(同上) 平城宮址に立ち寄る前に平城天皇陵に立ち寄って行く。平城天皇は桓武天皇の長子。 弟の嵯峨天皇との対立やその愛妾・藤原薬子とその兄仲成が絡む薬子の変のことなどは上記参考1.の記事をご参照下さい。(平城天皇陵) 平城宮址公園の木陰で暫し休憩。 大極殿にご挨拶申し上げて、近鉄西大寺駅へ。 トレンクルを畳んで電車で帰途に。(大極殿)(同上) 瓢箪山駅で下車。行きつけの自転車屋さんにトレンクルを持ち込み、ブレーキの故障を修理して戴く。この処MTBもトレンクルも何かと故障が多く、自転車屋さんにお世話になることが続いているが、無事修理も済み、帰宅と相成りました。些か中途半端な銀輪散歩に終わりましたが、これにて完結と致します。