高円山から率川神社へ
<承前> 高円山から奈良奥山ドライブウェイを下ると県道80号に出る。左に坂を上って行くと岩井川ダムを経て志貴皇子陵や光仁天皇陵のある田原の里である。右に坂を下ると春日病院を経て奈良教育大学の南側で県道188号(北進すると鷺池と飛火野の間を抜けて東大寺南大門に至る道)に出る。田原の里はパス。右に行く。教育大学の前で左折、崇道天皇社を経て率川神社へと向かう。 教育大学から崇道天皇社への道は、百毫寺などを頼まれて案内した万葉ウォーク(万葉ウォーク・奈良百毫寺篇 2011.10.19.)で歩いた道でもある。また、これから向かう率川神社はそのウォークの解散地点でもありましたので、懐かしいことです。(合歓の花) 奈良奥山ドライブウェイの道の辺に合歓の木が花を咲かせていました。 芭蕉の「奥の細道」なら「象潟や雨に西施がねぶの花」なんでしょうが、ここは奥山の道とは言え、高円山の奥山ドライブウェイ。細道ならぬ広い道、梅雨の晴れ間にてもあれば、高円や日の照る道にねぶの花、でありますかな。 木の下に入って逆光でも1枚撮影。 偐万葉なれば、芭蕉でもあるまい。大伴家持の歌を掲載して置きましょう。これは、紀女郎から贈られた歌への返歌として作られた戯れ歌である。吾妹子が 形見の合歓木(ねぶ)は 花のみに 咲きてけだしく 実にならじかも (万葉集巻8-1463) 偐万葉ともなれば、これだけでは不十分。もう1回ひねらなくてはいけません(笑)。実になりても いかがなものか 合歓木の花 豆にしあれど さやとも見えず (偐家持) (注)豆にしあるも=ネムはマメ科植物。莢の実が生る。 さやとも・・=「莢(さや)」と「清(さや)」とを掛けている。(同上) 率川神社に到着。この神社はこれまでに何度となく訪れている。当ブログでも何度か登場している。 <参考>奈良銀輪散歩(その1) 2009.5.19. 万葉ウォーク・咲きか散るらむ 2011.8.22. 率川神社三枝祭 2012.6.17.(率川神社拝殿) この時期らしく拝殿の前には茅の輪が置かれている。(同上・本殿)(同上・由緒書き) 境内には蛙石なるものがあるが、これは吾事に非ずであります。拝殿の 前に茅の輪の ある見えて かへり見すれば かへる石なり (率川蛙麻呂) (本歌) 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月西渡(かたぶ)きぬ (柿本人麻呂 万葉集巻1-48) (蛙石) 一応、銀輪万葉なれば、こちらの万葉歌碑が吾事なれりであります。 この歌碑も上の2009年5月19日の記事で、既に紹介済みであるが、再掲載して置きます。葉根かづら 今する妹を うら若み いざ率川( いざかは)の 音の清( さや)けさ (巻7-1112)<はねかづらを今つけているおとめがうら若く初々しいので、いざいざと誘う、その率川の瀬音のすがすがしいことよ。>(率川神社境内の万葉歌碑) 率川神社の前の道を北へ、三条通りを越えて少し行った位置に小さな神社があったので立ち寄る。(漢國神社) (同上) 漢國神社内にある林神社は我が国で唯一の饅頭の社だそうな。 貞和5年(1349年)に中国から来朝した林浄因という人が漢國神社社頭に住まいし、わが国で初めて饅頭を作って好評を博し、遂には足利将軍家、宮中にまで献上するに至ったとのこと。その御仁を祀ったのが林神社。 <参考>まんじゅうの社・林神社(饅頭塚) こんな饅頭塚もありました。(同上・説明板)<参考>銀輪万葉・奈良県篇