岬麻呂旅便り212・桶狭間・伊良湖岬・浜松
本日は、岬麻呂旅便りの記事とします。今回の旅は、氏が浜松勤務時代のお仲間とのOB会参加が目的の一人旅であったようです。(下掲「旅・岬巡り報告212」参照) (旅・岬巡り報告212及び写真説明)<参考>岬麻呂旅便りの過去記事はコチラから。 OB会参加のついでにお立寄りになられた桶狭間古戦場跡や伊良湖岬など、我々も写真で旅をさせていただくことといたしましょう。 (桶狭間古戦場公園・名古屋市緑区) (史蹟桶狭間古戦場・豊明市) (岡崎城) 古戦場跡、岡崎城の後は、渥美半島、伊良湖岬へ。 岬麻呂の旅とあれば、岬と灯台は基本的に欠かせないもの(笑)。 (伊良湖岬灯台) (渥美半島・伊良湖岬) (同上・恋路が浜から伊良湖ビューホテル方向を望む。) 伊良湖岬では芭蕉の句碑と万葉歌碑もご覧になられたよう。 (芭蕉句碑)鷹ひとつ見つけてうれしいらご崎 (芭蕉) 芭蕉は貞享4年(1687年)11月12日に伊良湖崎に立ち寄っている。門人の杜国(尾張の米穀商・坪井庄兵衛)が何かの罪に問われ、三河の保美村に隠棲中であったのを見舞ったようである。この折の句では、夢よりも現(うつつ)の鷹ぞ頼母しきというのもある。 旅報告には、万葉歌碑もご覧になり、その歌を記して居られるが、残念ながら歌碑の写真は届いて居りませぬ。うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻刈り食(を)す(麻続王 万葉集巻1-24) (<うつせみの>命が惜しさに、波に濡れて、伊良虞の島の玉藻を刈って食べているのだ。)(注)刈り食(を)す=「刈り食(は)む」という訓もある。 万葉集によると麻続王(をみのおほきみ)が伊良虞の島に流された時に、それを悲しんだ人が作った歌「打麻(うちそ)を麻続王海人なれや伊良虞の島の玉藻刈ります(万葉集巻1-23)」(<打麻を>麻続王は海人ででもあるのか、伊良虞の島の玉藻を刈っていらっしゃる。)に感傷して麻続王が和したのが上の歌とされている。日本書紀やそれを引用する万葉集左注では麻続王は因幡に流されたとあり、常陸国風土記では行方郡板来村に流されたとあるなど、様々な伝承があったようだ。麻続王その人についても、諸説あって如何なる人物かよくは分からない。<参考>麻績王・Wikipedia 万葉集左注で既に「後人の歌辞によりて誤り記せるか。」と指摘されているように、麻続王がこの地に流されたというのは間違いであるとしても、「伊良虞の島」が伊良湖崎であるとすることには異論がないようですから、ここにこの歌の歌碑があることについても誰も異論は無いだろう。 (日の出、伊良湖ビューホテルの屋上展望台から 6:31) 初日は伊良湖ビューホテル泊。翌2日目は、椰子の実記念碑、日出石門、東大寺瓦窯跡などを廻られ、浜松へ。浜松のご友人を順次訪ねつつ、OB会の会場である舘山寺温泉へ。参加者20名の「大宴会」にて大いに旧交を温められたようです。 (浜名湖・舘山寺温泉)