河内音頭の寺
昨日23日はポカポカ陽気。陽気に誘われて朝からふらりと銀輪散歩。 と言っても何処と言って行くアテもなく、花園中央公園から南へと走り、池島神社から池島の集落を横切り、恩智川べりの道に出て、これを南へ。近鉄信貴線のガード下を潜り、府道5号線を西へ。近鉄大阪線河内山本駅前に出て、天台院に立ち寄る。(紫雲山天台院)<参考>天台院・Wikipedia 今東光・Wikipedia 山本駅北西にあるこの小さな寺は、作家・今東光が24年間住職を務めたことがあるということで知られる寺。(同上・本堂) 開基は南朝の勤皇僧・文観上人とのこと。<参考>文観・Wikipedia(同上・説明碑) 境内には今東光の文学碑がある。東光太平記の書き出しの部分が刻まれているとのことだが、彼の作品は一作も読んでいないので、この「東光太平記」の冒頭の文章も今回が初見である。 境内に入って写真を撮っていると、モーターバイクに乗ったお坊さんが訝しげに門の外の道路側からこちらを覗って居られました。鍵が施錠されていないとは言え、閉められた門扉を開けての侵入ゆえ、何やら後ろめたい気もして、「写真を撮らせていただいて居りました。」と、努めてにこやかにご挨拶(笑)。怪しい奴ではないとご判断されたのか、無言のままバイクで立ち去って行かれました。 このお寺、現在は無住職にて、ご近所のお寺さんが見守って居られるのかもしれない。(今東光文学碑) 天台院を後にし、再び府道5号線に戻る。西へ。この道沿いに行けば母校の八尾高校の前に出る筈。そして到着。 久々の母校訪問である。写真は撮り忘れましたが、数年前の高校同期会の折に撮った写真が当ブログに掲載済みなので、その記事を参考までに貼って置きます。<参考>高校同期会 2010.10.31. 八尾高校前から長瀬川沿いに下流へと行くと右手に公園。八尾市公園である。ここで暫し休憩。梅の花が満開である。(白梅) 天台院で先程見た碑の文章をお借りするなら、「三千世界に梅ヶ香が匂っていた。」ということになる。(紅梅) そろそろお昼なので、昼食の店を探すべく、商店街の方に向かう。ついでに、商店街近くにある常光寺に立ち寄って行く。 この寺も上の参考記事「高校同期会」に写真を掲載しているので、当ブログとしては再登場ということになるが、今回は、もう少しつぶさに見てみようと思う。(常光寺)<参考>常光寺の歴史(同上) 境内に入って山門の左側に「河内最古之音頭発祥地」と刻まれた石碑がある。(河内音頭発祥地の碑)<参考>常光寺と河内音頭 常光寺「地蔵盆踊り」(常光寺と河内音頭) ひとまず、商店街で昼食を済ませてから出直すこととする。 商店街入口近くの喫茶店でランチ&珈琲。(常光寺説明碑) 昼食を済ませてから再び常光寺へ。(八尾別当顕幸墓)<参考>八尾別当顕幸墓 本堂の北側に楠公八臣の一人八尾顕幸の墓がある。 因みに、楠公八臣とは、和田和泉守正遠、安満了願(満仁王丸)、恩智左近満一、八尾別当顕幸、湯浅孫六入道定仏、宇佐見河内守正高、志貴右衛門朝氏、神宮寺太郎左衛門正師の八名。(同上・説明碑) 「藤堂家臣七十一士の墓→」という表示があったので、矢印の示す方向に行ってみる。お堂の裏の墓地へと矢印は示している。 庭先を通り裏の墓地へ。(常光寺の庭) 境内の表側にある八尾顕幸墓は南北朝時代であるが、庭を通り抜けて裏の墓地に入ると江戸時代初期・大坂夏の陣の時代へと280年ほども一気に飛ぶことになる。 大坂夏の陣(元和元年・1615年)では、此処・常光寺の門前で徳川方・藤堂高虎軍と豊臣方・長曾我部盛親軍が衝突、双方に多くの戦死者を出したとのこと。(藤堂家臣七十一士の墓) 藤堂軍側の戦死者は71名。その墓がこれである。(同上・説明碑)<参考>大坂夏の陣 高虎と七十一士位牌 血天井 で、更に時代が下って、こんな墓もありました。(河内屋菊水丸の墓) 菊水丸さん、亡くなられたのかと一瞬思いましたが、そんな筈はない。これは、同氏がその時のためにご用意されているご自身のお墓。生前墓・寿陵墓と言う奴ですな。 そろそろ帰るかと、常光寺をおいとましたが、常光寺の東方200mの距離にある八尾神社にも立ち寄って行くこととする。八尾別当顕幸墓に関連しての寄り道である。この神社の境内に八尾城址碑があるからである。(八尾神社)<参考>八尾神社・Wikipedia 拝殿は屋根部分が傷んだ無残な姿。(同上・拝殿) 拝殿の後ろに幣殿、その後ろに本殿。 主祭神はウマシマジであるから、物部氏系の神社である。 (注)ウマシマジ=宇摩志麻遅命(古事記)、可美真手命(日本書紀)。(同上・本殿)(同上・説明碑) 本殿の横、東側、裏参道に抜ける手前に矢尾城址碑がある。 南北朝時代の八尾の豪族・八尾別当顕幸が拠点とした城がこの付近にあったらしい。尤も、八尾城の所在地については別の説もあり、それによるとこの地から南東1km位の別宮付近、南本町、高美町、安中町辺りだと言う。(矢尾城址の碑)<参考>八尾城・Wikipedia 八尾神社を出て近鉄八尾駅前から近鉄線に沿って、山本駅前経由で恩智川べりの道に出て、これを北へ。昨日の記事の鳧を見たのは、八尾市域から東大阪市域に入った辺りの恩智川でありました。ケリの撮影にもケリをつけて再出発、花園中央公園を経由して自宅に帰着。近隣散歩もケリがついたという次第。