偐万葉・閑人篇(その12)
偐万葉・閑人篇(その12) 本日は朝から雨。 このような日は偐万葉に限るとて、わがPCの「偐万葉メモ」を開いてみるに、ブロ友のふろう閑人氏関連の項目にメモしたる歌が20首になっていることに気付きました。 「偐万葉のブログ記事アップに関する内規」によると、歌の数が20首以上になれば、これをブログ記事にアップしてもよいということになって居ります(笑)。 ということで、久々に偐万葉の記事といたします。シリーズ第294弾になります。 ふろう閑人氏とのブログ上のお付き合いは、2013年12月18日から始まっていますので、4年5ヶ月余になります。ブロ友のビッグジョン氏からのご紹介で同氏ブログを訪問、コメント記入したのがその始まりであります。 同氏は偐万葉では「京閑麻呂(みやこのひままろ)」と呼ばせていただいていますが、山部赤人、高市黒人、大伴旅人などのように「京辺閑人(みやこべのひまひと)」とお呼びしても良かったかなあ、などと思ったりもしています。しかし、名前は継続性の原則に従うのが相当と考えられますので、京閑麻呂のままで行きます。<参考>過去の偐万葉・閑人篇はコチラから。 ふろう閑人氏のブログはコチラから。 偐家持が京閑麻呂に贈りて詠める歌20首ほかわが摘みし 芥子菜の田に 来(こ)しをみな 何や摘むらむ 知らずくやしも (淀川閑人)摘む草は まだあるらむか 樫の実の ひとり摘む子に 菜を聞かましを (淀川閑人)(注)樫の実の=「ひとり」にかかる枕詞。 菜を聞かましを=「名を聞かましを」を掛けている。 女性に名を聞くことは求婚を意味する。(本歌)大橋の 頭(つめ)に家あらば うらがなしく ひとりゆく兒に 宿貸さましを (高橋虫麻呂 万葉集巻9-1743) (20170318淀川堤)わが孫と 赤羽静岡 旅したる 青春きっぷ ここにし帰るのこりたる 青春きっぷ 一回分 のちはたれとや 思ひ出つむぐ(注)初案「こののちたれと」を「のちはたれとや」に修正。 (20170324青春18きっぷ)桜花 咲ける大池 われ知らず しかは言へども 平池は知る (大平家持)(本歌)勝間田の 池はわれ知る 蓮(はちす)なし しか言ふ君が 鬚なきごとし (万葉集巻16-3835) (20170414大池公園)川床の ことは知らざり なす時期は 苦情(九条)次第に 私情(四条)は容れず (地上機家持) (20170416四条通りの地上機) (20170416川床)百年(ももとせ)を 生きたる人の めでたかり なほもあれなと 胡蝶蘭咲く (祝閑人) (20170529胡蝶蘭) (20170529百歳の誕生日)やぶれあみど あせにまみれて ふたひらを われはりかへぬ 人もとひ来よ (閑戸八一)(本歌)きくううと つちにまみれて さにはべに われたちくらす 人なとひそね (会津八一) (20170715網戸張替え)隠れ家は 蚊を入れぬのが 馳走なり (閑尾芭蕉)(元句)わが宿は 蚊のちいさきを 馳走也 (松尾芭蕉)龍舌蘭 いや高々に 咲くを見て 帰ればわれ待つ 龍の髭かな時流れ 時に流るる ことあれど 流れ橋あれ のちも変らず蓮(はちす)の実 いかにか食ふを われ知らず 然(しか)言ふ君に 言ふことも無し (蓮家持)(本歌)勝間田の 池はわれ知る 蓮(はちす)無し 然(しか)言ふ君が 髭無き如し (万葉集巻16―3835) (20170815蓮の実)茹でむかご ビールのアテに よしといへど 下戸なるアテに かかはりもなし (下戸家持)(注)アテ=酒のつまみ アテ=ワテ(「ワタシ、アタシ」の大阪弁) (20170930茹でたムカゴ)四口の 一つ口なる 薩摩口 薩摩の芋の ありがたきかな (芋家持)(注)四口から薩摩口までの上3句は「薩摩の芋」を導くための序詞。 (20171114サツマイモ)四口=よんくち。江戸時代の鎖国の例外として設けられ ていた海外貿易の窓口、長崎口(対オランダ・中国)、薩摩口(対琉球)、対馬口(対朝鮮)、蝦夷口(対アイヌ)一つ口=「一口」と書いて「いもあらい」と読ませる地名が京都府の久御山町にあることから「芋洗い」を連想させようとしたもの。尤も、「いもあらい」は一説では「芋洗い」ではなく「忌み祓い」が訛ったものだという。一口の地は巨椋池のあった低湿地、疫病や災害に見舞われ易い地であったことから「一口の忌み祓い」という言葉が生まれ、やがて「一口」で「いみはらい」と読むようになり、「芋洗い」に転訛したとする。なお、一口の集落は巨椋池に三方(北、東、南)が囲まれ、出入り口が西側だけという立地にあったことから「一口」という地名になったとのこと。今日ぞわれ 門灯カバー 仕上げたり 人よ訪(と)ひ来(こ)よ 夕さり来れば (種田門灯火) (20171116門灯カバー)むくどりの 運ぶか楝(あふち)の 実を見れば 過ぎにしことの 思はれもする (20180122センダンの実) (20180122ムクドリの群れ)一人でも 二人でもよし 間なくしぞ 月の比叡で 八瀬にし行かむ (おけいはん)(本歌)花も嵐も 踏み越えて・・月の比叡を 独り行く (西条八十「旅の夜風」) (20180307叡山電車「ひえい」)やはらかに 光れる春の 鴨川に 柳あをめり 銀輪走れと (鴨長走)(本歌)やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに (石川啄木) (20180307鴨川の柳) 閑麻呂のブログに書き込みたる戯れ文行く道は徒歩15分にして、竹藪への道も又細道也。鶴嘴(とんが)の先つき立て掘れる筍、大釜にゆがきたるをとらへて、皮剥くことも、さほどに役たたずして、折々休憩にして、休憩を専らとす。(中略)筍を 持ち帰る日ぞ 閑な我 (松尾筍蕉「ぼくのほそ道」)(原文)月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。(中略) 草の戸も 住替る代ぞ ひなの家 (松尾芭蕉「おくのほそ道」) (20180423タケノコ堀り)月ごとに 上中下旬 是有れば 京に限らず いつも旬なり (旬家持) (20180424旬の京都)馬町の み坂越ゆとき 空襲の こと思はずに われは過ぎしか (20180529馬町空襲被害の地図)(注)掲載の写真はふろう閑人氏のブログからの転載です。