大仏殿から興福寺へ
鹿寄せ(2月25日記事)の後、大仏殿付近や興福寺などをブラブラして撮った写真が少しばかりあり、これらがブログに未掲載のままになっているので、これを記事にします。また、何年か前に撮影したものの、ブログにアップする機会を逸して死蔵となっている写真もいくつかありますので、この際、これらも使っての辻褄合わせ記事という次第であります(笑)。 鹿寄せの後、春日大社参道沿いの万葉植物園の手前辺りから斜めに、「鴎外の門」のある南大門前の交差点へと抜ける北参道に入り、山上憶良の歌碑を見て、南大門から大仏殿前の鏡池までブラブラ散策。<参考>鴎外の門、山上憶良の歌碑のことは下記記事参照。 参道の奥に憶良の歌碑ありて 2014.1.16. 上記<参考>の2014年1月16日の記事でも、大仏殿前の鏡池の前から大仏殿を撮った写真を掲載していることに気付きましたが、今回も同じようなアングルで写真を撮りました。このアングル、特に鏡池の水面に映る姿とセットで大仏殿が眺められるのが気に入っているのか、無意識のうちに今回もこれを撮影していたのでした。(鏡池と大仏殿) 池の向こう岸を右(東)に行くと手向山神社から二月堂である。 その手向山神社の鳥居の手前、大仏殿の東側回廊から少し東に上がった処に七重塔の相輪を復元したものが実物展示されている。 この写真(下掲)は、2014年1月16日に撮影の古いものであるが、その日の記事ネタからは漏れてしまったので、フォト蔵アルバムに眠ったままになっていたのでした。今回、いい機会なので、遅ればせながら休眠打破であります(笑)。(東大寺七重塔相輪・復元)(同上・説明碑) 1970年の大阪万博に出展されたものが此処に移設されたのである。 ついでに、手向山神社の鳥居の写真も。(手向山神社鳥居) この写真も同じ日・1月16日撮影であるが、その日、鳥居を潜って、手向山神社や二月堂の方へ行ったのかどうかは記憶が定かではない。今回の散策では、鏡池の前で引き返しているので、勿論、七重塔相輪の場所にも立ち寄らずでありました。 引き返して、氷室神社から国立博物館の西側広場を通り抜け、興福寺へと向かいました。(氷室神社から見る若草山) この写真も、草の色から見てお分かりのように冬の若草山、前3枚の写真と同じく2014年1月16日の撮影です。 さて、次は今回撮影の写真。 会津八一の歌碑です。 国立博物館西側の前庭と言うか広場と言うか、そこから道路を渡って、興福寺の境内へと入る小径の道沿いにあります。 この歌碑、既にブログに掲載済みかと思っていたら、そうではないようで、当ブログ初登場であります。(会津八一歌碑)はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり ほとけのにはに はなさくらしも (会津八一)(春がやって来たと、今や多くの人々が往き来する興福寺の庭には、桜の花が咲いていることだろう。)はるはなは いまだふふめど もろびとの ほとけのにはに ゆきくするみゆ (偐家持) (春花の桜は未だ蕾であるが、多くの人々が興福寺の庭を往き来するのが見える。)(同上・副碑) そして、興福寺の中金堂。 ながらく工事中であったが、ようやくに完成し落慶法要が営まれた。 しかし、ヤカモチが完成した中金堂の姿を実地に見るのは今回が初めてであります。(興福寺・中金堂) パノラマ撮影すると、左手の南円堂から右手の東金堂まで入って、広々とした感じになる。(同上) 中金堂の前を過ぎ、南円堂とその裏の三重塔にご挨拶して、階段を下り、三条通りに出て、東向商店街で昼食としたので、北円堂の方には行っていないが、2014年1月16日撮影の北円堂の写真があるので、これもついでに掲載です。(興福寺北円堂) 以上、5年も前に撮影した写真の応援も得ての、散歩記事でありました。