人みなはげめと鳴くにしあるか
毎朝、クマゼミの合唱とともに目覚めるこの頃。わが庭に くまぜみ来鳴く 朝なれば 起きよみな人 はげめと言ふや (寝坊家持)(クマゼミ) これは、わが庭の木に鳴いていた奴ではなく、銀輪散歩で立ち寄った花園中央公園に居たクマゼミ。 近くにはニイニイゼミとキマダラカメムシも居ました。(ニイニイゼミとキマダラカメムシ) 実際にはこんな感じで一つの幹にとまっていました。(クマゼミとニイニイゼミとキマダラカメムシ) これは桜の木。桜の木にはキマダラカメムシがよく居る。 カメラを向けた時は、キマダラカメムシには気づかず、クマゼミとニイニイゼミ、というつもりで撮ったのですが、画像を見るとカメムシも写っていたという次第。 この日、アブラゼミは、声はすれども姿は見えずで、撮影できず、別の日に、加納緑地で撮った写真がこれ。(アブラゼミ1)(同上2)(同上3) アブラゼミ1の居た木には、ハナムグリも居ました。(ハナムグリ) 加納緑地には、こんな木もありました。 蝉の脱け殻がいっぱい。やたら蝉にもててしまった木。 この木にもカメムシが居て、カメラを向けていたら、犬を連れて通りかかった男性から「何か珍しいものでもいるのですか?」と声を掛けられましたが、「いや、別に。カメムシを撮っていただけです。」とヤカモチ。 十分に「変人」ですかな。(蝉の脱け殻がいっぱいの木) クマゼミ、アブラゼミ、ニイニイゼミがよく見かける蝉。 ミンミンゼミやヒグラシは余り見かけない。 ツクツクボウシはお盆が過ぎてからで、この時期の蝉ではない。夏の終わり頃にはツクツクボウシが盛んに鳴く。 閑しづかさや岩にしみ入いる蝉の声 (芭蕉 おくのほそ道) これは、芭蕉が山形県の立石寺で詠んだ有名な句。 斎藤茂吉はこの蝉をアブラゼミと断じたが、小宮豊隆はニイニイゼミと主張し論争となった。斎藤茂吉が自らの誤りを認め、ニイニイゼミ説に落ち着いたようだが、ニイニイゼミの合唱の声は「し~ん」という感じで、確かに「岩にしみ入る」音調・音色であり、妥当な結論だとヤカモチも思う。 クマゼミやアブラゼミなら、猛暑日や岩響かせて蝉の声、とでもいうこととなり、岩にしみ入ることはないだろう。朝床に 聞けばかしまし くまぜみの をちこち分かず しゃんしゃんしゃんと (蝉家持)(本歌)朝床どこに 聞けば遙はるけし 射水川 朝こぎしつつ 唱うたふ船人 (大伴家持 万葉集巻19-4150) 万葉の頃は、ヒグラシが隆盛を極めていたのか、蝉はヒグラシのみが詠まれている。ひぐらしは 時と鳴けども 恋ふるにし 手弱女たわやめ我は 時わかず泣く (万葉集巻10-1982)夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてぞ吾あが来る 妹が目を欲ほり (秦間満はたのはしまろ 同巻15-3589)石走いはばしる 瀧たきもとどろに 鳴く蝉せみの 声をし聞けば 京都みやこしおもほゆ (大石蓑麻呂おほいしのみのまろ 同巻15-3617) 三首目の蓑麻呂の歌は、単に「蝉」とあるのみであるから、何ゼミとも断定できないが、これもヒグラシなんだろう。暮れなづむ 峠の道や ひぐらしの 夏もかなしき かなかなかなと (蝉家持) この夏、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシの鳴く声は未だ耳にしていない。 子どもの頃には、初夏、ハルゼミの声も耳にすることがあったが、近ごろは全く聞かない。 一方、ニイニイゼミはわが耳の奥で「耳鳴り」として年中鳴っているので、実際のニイニイゼミの声を耳にしても、それがニイニイゼミの声であるのか耳鳴りであるのかがよく分からないというのが、ヤカモチさんなのであります(笑)。わが耳の 奥にもシ~ンと 蝉の声 まあ、耳鳴りのそれが、アブラゼミやクマゼミの声ではなく、ニイニイゼミの声でよかった、とは思っています。 今日は蝉の話でした。