平城宮趾公園・ススキの原と大極殿
(承前) 前ページの記事の続きです。 正暦寺への紅葉銀輪散歩の帰り道。 成り行き任せで走っているうちに、近鉄電車の車窓から見た平城宮趾公園の一面のススキの原を間近に眺めてみようという思いになって、銀輪散歩のゴールを此処と決めたのでありました。 聖武天皇陵を出て一条通り(県道104号)を西に走り、東院庭園と宇奈多理座高御魂神社の間の細道から平城宮趾公園へと入る。(平城宮趾公園のススキの原 後方は朱雀門) ススキの穂波の向こうに朱雀門。 カメラのアングルを下げて穂波に浮かぶ朱雀門の屋根という図柄の方がよかったかも、などと今頃思っても仕方のないことですかな。(同上) 宮跡を横切る近鉄線は、景観上はマイナスであるが、長年見慣れた目にはさして違和感も感じないのではある。(同上) 西に見えている山は生駒山。 万葉集巻1-52番の「藤原宮の御井の歌」には、藤原宮の西にそびえる畝傍山について「畝傍の この瑞山(みづやま)は 日の緯(よこ)の 大き御門に 瑞山と 山さびいます」(畝傍のこの瑞々しい山は、西の御門に瑞々しくまことに山らしい姿でいらっしゃる)と詠われているが、平城宮にとっての瑞山は、この生駒山であろう。平城(なら)の宮の 西の御門(みかど)に 生駒山 この瑞山(みづやま)と 山さび立てり (偐奈良麻呂)(同上・パノラマ撮影 中央後方の山は生駒山) 朱雀門の側に回ってから、大極殿に向かうこととする。 朱雀門の北側やや東寄りにもススキの群生があり、接近して撮影してみたのが、下の写真。(同上) 紅葉もいいが、ススキが群生し、その穂波立つ姿はそれに劣らず、いやそれにもまさって、素敵である。人皆は もみぢを秋と 云ふなれど 尾花をわれは 秋とや言はむ (芒家持)(本歌)人皆は 萩を秋と云ふ よしわれは 尾花がうれを 秋とは言はむ (万葉集巻10-2110) ススキに気をとられて朱雀門を撮るのを忘れましたが、朱雀門の写真は何度も掲載している筈だから、まあいいでしょう。 朱雀門側から、大極殿方向を眺めると、工事中であった南門が完成したようで、工事用の覆屋が東に移動していて、門全体が姿を現していました。(大極殿と南門)※フォト蔵のリンク画像は上の写真と少し異なっています。 朱雀門に居られた係員のお方の話によると、リフトアップして時間を掛けて少しずつ曳行移動させて現在位置の形になったのだという。 この後、移動した覆屋の下では別の建物の工事が始まる、と仰っていたから、南門左右の楼閣の復元工事が行われるのであろう。(第一次大極殿院復元模型・南門と左右の楼閣) 平城宮趾を横切っている近鉄奈良線も宮跡を回避する形で移転・地下化するようだから、平城宮趾公園(平城宮跡歴史公園というのが正しい呼称のよですが)の景色もどんどん変化して行くのだろう。 計画案では、朱雀門の南側に復元された朱雀大路の南端、大宮通り(国道308号~県道1号~国道369号)の地下に「仮称朱雀大路駅」を新設、現在の新大宮駅を南側の大宮通り地下に移転、更にJR京都線(高架)と交差する位置の大宮通り地下に「仮称油阪駅」を復活させるというものであるらしい。 その近鉄線を踏切で北に渡り、大極殿に向かう。 南門は完成とは言え、周辺工事がまだ残っている上、その隣で新たな建物復元工事が始まるとあれば、一般公開はいつになるのだろう。(大極殿) 大極殿の内部に入るのは、今回が初めて。 何度も機会があったが、何となくやり過ごして来ました。 この日は、観光客の姿も殆ど無く、入ってみる気になりました。(大極殿内部) 内部には、中央に高御座復元模型が置かれ、周囲には鴟尾と大棟中央飾りのレプリカや復元工事に関する説明パネルなどが展示されている。 内壁の上部には、東西南北に青龍・朱雀・白虎・玄武の四神獣図が描かれている。(同上・高御座説明パネル) 天皇がお座りになる高御座の復元模型。(同上・高御座、正面から)おほきみは 神にしませば 大殿の 高きみくらに 神さびませる (奈良人麻呂) 人麻呂さんならこのように詠うのかも。 高御座に向かって、左側に鴟尾、右側に大棟中央飾りのレプリカが展示されている。(同上・大棟中央飾り)(同上・大棟中央飾り説明パネル)(同上・軒瓦)(同上・屋根工事などの説明パネル)(同上・天井板その他の塗装工程の説明パネル)(同上・天井) 格天井のマス目一つ一つに花柄の彩色が施されている。 外回りの高欄には宝珠が飾られている。(大極殿外回廊高欄の宝珠)(同上) 権力は武力によって成立するが、これを維持するにはその正当性が必要である。正当性が伴うことによって権威は生まれ、権威によって権力は補強される。 権威を補強するものは、血統であったり、人徳であったり、民衆の支持であったり、法であったりするが、金銀宝飾や絢爛豪華な建物なども権威を補強するものである。 国を統治するため、外交をそつなく行うためにも、このような仕掛けが必要であったということであったのだろうが、みごとな建物や宝飾よりも一面のススキが原の穂波の方がはるかに美しいという立場から見れば、それら全ては人の愚かしい営みである、ということにもなる。 それはさて置き、復元工事はどこまで続くのだろう。何もかも復元してしまっては、何やらテーマパーク風の味気ないものになってしまうのではないか、という気もするヤカモチであります。復元も たいがいにせよ 過ぎたれば あはれもかなしも なきこととなる(偐家持) 正暦寺「紅葉散歩」で始まった今回の銀輪散歩であるが、ゴールは平城宮趾「枯れすすき散歩」となってしまいました。 これもまたヤカモチらしきことにて候(笑)。 以上で銀輪散歩完結であります。(完) <参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記です。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)