皇居一周銀輪散歩(その4)・増上寺、東京タワー
(承前) 大門通りを西へと上る。ゆるやかな坂道である。国道15号を渡り、しばらく行くと、増上寺と書かれた門前に出た。 交差点表示は「芝大門」とあるが、「小さな門だから、これは大門ではあるまい。大門はこの奥にあるのだろう。」と思ったのはヤカモチの見込み違い、やはりこれが大門でありました。 背後には東京タワーが見えている。(芝大門) この大門から奥の三門(三解脱門)までの距離が約108間あり、大門を潜って三門まで進み、三門を潜ると108の煩悩から解脱する、ということであるらしい。 三門前到着。 手前の緑地の一角に設けられた喫煙場所で一服してから三門へ。(増上寺・三解脱門) 三門(三解脱門)というのは、悟りの境地に至るための三様の修行、空門・無相門・無願門に基づくものとのこと。(同上・三門説明碑)(同上・三縁山 広度院 増上寺 説明碑)(同上・境内図)<参考>増上寺ホームページ 境内散歩 上の境内図はネット検索で帰宅後に探し出したもので、当日はこのようなものを持ち合わせず、駐輪場がどこにあるかも分からなかったので、三門脇に取り敢えず駐輪して、門内から下掲の大殿の写真を撮って、足ばやに門外に退出。 前述のように、三門を潜って108の煩悩から解脱したヤカモチであった筈が、すぐに門から外に立ち戻ってしまったので、元の木阿弥、煩悩の世界に逆戻りとなったようです。(同上・大殿) 自転車に乗って、駐輪場を探すべく境内北側の道に入ると、正面に東京タワーであった。で、先に東京タワーに回ることとする。と言ってもタワーの展望台に上るというのではない。真下からの写真を撮ろうというのである。 はい、こういうのは既にして煩悩世界の発想でありますな(笑)。(東京タワー)(同上・直下から見上げての写真) 煩悩のことはさて置き、東京タワーのいい写真が撮れました(笑)。 再び増上寺に戻る。境内地北側の道路から横入りすると駐車場があり、そこに駐輪できるスペースがあった。(増上寺・大殿) 寺院は本堂、神社は本殿、というのが相場であるが、此処では「大殿」と称するようだ。1階に僧信徒控室、2階に本堂、3階に道場、地下に宝物展示室という多機能建物にて、本尊を安置する御堂たる本堂という概念では包摂しきれない建物であるから「大殿(だいでん)」という訳である。 まあ、大仏殿など、寺にも「殿」はありますから、どう(堂)ということはないと駄洒落にして置きます。 万葉的に訓を付けると「大殿(おほとの)」でありますが、これは大極殿のことですかな。(同上・大殿説明碑) 大殿に向かって左側に光摂殿、右側に安国殿と、左右にも「殿」があります。(同上・増上寺会館、右は光摂殿) 正面のコチラ向きの二つ並びに見える建物が増上寺会館。右端に一部だけ写っているのが大殿。その隣が光摂殿。(同上・大殿側から見る三門)(詠唱発祥の地碑) 「詠唱」というのは、浄土宗特有の呼び方で、普通には「ご詠歌」といわれるもののこと。戦後、浄土宗では、法然など高僧の和歌に節をつけたものを「ご詠歌」とし、それ以外の仏の教えなどの言葉に節をつけたものを「和讃」とし、これらと共に舞われる「舞い」なども含めたものを「詠唱」と総称するようになる。 碑文によると、昭和21年7月に第1回詠唱講習会が開催されたのは総本山知恩院に於いてであるから、詠唱発祥の地は知恩院の方かもしれないのだが、詠唱を行う組織、浄土宗吉水講が最初に組織されたのが増上寺ということで、この「詠唱発祥の地」碑が建てられているようだ。(同上・ブッシュ槇) 第41代アメリカ大統領・ジョージ・ブッシュ(父ブッシュの方)が副大統領であった1982年4月24日に来日した折にお手植えしたというコウヤマキの木が三門を入った左手、詠唱発祥の地碑の横にありました。当時の大統領は第40代大統領ロナルド・レーガン。(同上・法然上人歌碑) 大殿へと向かう参道の石階段の脇には浄土宗の宗祖・法然の歌碑。池の水 ひとのこころに 似たりけり にごりすむこと さだめなければ 石階段を上がって大殿前の広場を右に行くと、千躰子育地蔵菩薩。(同上・千躰子育地蔵菩薩) 千までは行かないが、おびただしい数のなんとも可愛いお地蔵さんが居並んでいました。(同上) 赤い帽子と前掛け。脇に立てられたカラフルな風車が時折吹く風にカラカラと勢いよく回る。(同上) 見て回りつつ、ついシャッターを押してしまっているヤカモチでありました。(同上) この先は、通り抜け禁止と書かれているので、足は踏み入れず、振り返って撮ったのが下の写真。(同上)(同上・説明碑) 増上寺は徳川将軍家の菩提寺にて、徳川将軍家墓所が境内の奥にある。<参考>増上寺・Wikipedia 今年は、NHK大河ドラマ「どうする家康」ということなので、その将軍家墓所にもご挨拶と思ってのオプションツアーであったが、一般公開は午後3時までで、既に時刻は過ぎていて参拝受付は終わっていました。 将軍家墓所の写真は、上記<参考>のWikipedia記事に掲載されていますので、興味のある方はそれでご覧ください。 今回は、皇居の庭園といい、将軍家墓所といい、まことに間の悪いことでありました。しかし、皇居周りを銀輪散歩することそのものが目的で、何処に立ち寄るといった目的のこれと言ってない銀輪散歩でありましたので、これはこれでよしであります。 時刻もよし、東京駅の方へ引き返すことにします。 以上で、皇居一周銀輪散歩終了です。(完)<参考>銀輪万葉・関東編