本日は青雲会(大学の同窓会)の囲碁サークルの今年最後の例会。こちらの例会の方は、梅田の囲碁例会ほどには出席して居らず、今年はこれが4回目。8月の囲碁大会を含めても5回参加しただけとなりました。
本日の参加者は小生を含めて9名。最初の田◎氏との対局は勝ったものの、次の銭◎氏、金◎氏に敗れ、1勝2敗。これで、今年の青雲会囲碁の戦績は11勝9敗。こちらの囲碁は梅田のそれとは違って、何とか勝ち越しで1年を終えたことになります。
こちらの囲碁の会場は中之島の近く、裁判所の西側にあるビルの2階にある。例によって小生は、自宅からMTB(マウンテンバイク)で銀輪散歩を兼ねての往復でありました。
中之島界隈はイルミネーションが飾り付けられ、何やら色々な催しが開かれていました。車の通行も規制され、一帯は歩行者天国、自転車も乗り入れ禁止。押して歩かなければならない、ということで、これを避けて走りました。まあ、そんなこともあって、今回は、何処にも立ち寄らず、の往復でありましたので、掲載すべき写真がありません。
ということで、11日(水)の梅田での囲碁例会の帰りに立ち寄った高津宮の写真でも掲載して置くこととします。
<参考>高津宮・Wikipedia
(高津宮)
高津の宮と言えば、仁徳天皇であるが、その所在地については諸説があって、何処とも定まらない。難波宮跡のある法円坂周辺とする説が最近は有力視されているそうだが、そういう論議は専門家にお任せすることと致しましょう。此処、高津宮の主祭神は勿論、仁徳天皇である。
<参考>高津宮、高津宮址碑が登場する当ブログの過去の記事
銀輪散歩・高津宮、長栄寺など 2011.9.24.
囲碁例会・比賣許曾神社 2012。2.8.
(郡戸王子推定地碑)
高津宮は元々は現在の大阪城の地にあったが、大阪城築城に際して現在地に移転したもの。ここは、元々は熊野九十九王子の一つ「郡戸王子」(3番目の王子)があった場所と推定されていて、その碑が境内に建てられている。
<参考>郡戸王子・Wikipedia
その碑の直ぐ近くには5代目桂文枝の碑もある。桂三枝が6代目桂文枝を襲名したが、先代の文枝師匠の碑ですな。この方の墓所は阿倍野王子神社の北隣にある印山寺というお寺にある。
2011年11月15日に万葉ウォークで皆さんをご案内した折に、同寺の門前に5代目桂文枝墓所の碑があったのを見た記憶がある。
<参考>万葉ウォーク・大阪市内南部篇 2011.11.15.
(5代目・桂文枝之碑)
(同上説明板)
<参考>落語・宿屋の富(高津の富)・Wikipedia
高津宮は上町台地へと上る坂道の途中にあるので、西側から接近すると高い石垣の上に境内が見える。宮に向かって右側の上り口から行くと「相合坂(縁むすびの坂)」で、左側の上り口からは「縁切り坂」になっている。
両方を写真に撮ったのだが、「縁むすびの坂」の方はピンボケ。どうやらヤカモチには縁切り坂の方が似合いと見える(笑)。
(縁切り坂)
「縁切り坂」と呼ばれる由縁は、下の説明板では「坂の形状が三下り半になっているから」とありますが、「三下り半の形状」というのがもひとつよく分らない。当日は何気なくこの説明文を読み下していましたが、よく考えると三行半の形の坂というのが?である。何処から眺めるとそんな風に見えるのだろう。石垣の下から眺めるとそんな風に見えるのか。その内に確認してみることにしましょう(笑)。
(同上説明板)