8日間の「健康的な入院生活」から追放されて、元の木阿弥の「不健康な日常生活」に本日無事復帰致しました。
昨日は、図らずも輪友の偐山頭火氏から陣中見舞いを戴きました。熱い珈琲を魔法瓶に入れ、苺大福を添えての陣中見舞いでありました。小阪から石切・水走まで自転車(MTB)でのご来駕、いや、ご来輪ですかな。その後、若草の智麻呂邸を訪ねるとのことで、暫しマイ・ルームにて歓談。退院後の銀輪行のことなども話題に上りましたが、これは本日の退院に際しての今後の注意事項や通院のことなどをよく確認してからのこととなるので、いつ頃から普段通りに走れるや否やによること、また、彼自身が俗世間の仕事から未だ足を洗い切れない往生際の悪さを生きる身にて、日程の調整が上手く行くか否かも分からぬことなど、不確定要素の多々なれば、曖昧模糊のままに置くの外なく、でありました。
彼が去るのと入れ替わりに、母や妹や姪や家内がうち揃っての来場。今度は、「のらやの手作りわらびもち」なる珈琲入りの蕨餅による陣中見舞いでありました。
珈琲好き家持ということで、偐山頭火さんも妹達も珈琲絡みの陣中見舞いでありました(笑)。それにしてもコーヒーゼリーは夙に存じ上げ候ひしもコーヒーわらび餅とは、初めて。まあ、いける。
背水の 陣にしなけれ 水走の 陣なるわれに 輪の背子来し
(偐家持)
かたかごの 花より珈琲 含みたる
わらび餅かと 姪もち来たる (偐家持)
(のらやの手作りわらびもち)
さて、病院の名は曖昧なままにして置くつもりにてありたれど、既にしてたれかれとなく知られたりければ、その名を明らかにせむとて・・
(石切生喜病院)
(同上)
(同上)
(同上6階休憩室<デイルーム>)
(鬼虎川遺跡説明板)
この病院のある地を中心とする一帯は弥生時代の一大集落があったとのことで、鬼虎川遺跡と呼ばれているそうな。
この病院建設に当たって大規模な発掘調査が行われたとのことで、このような説明文の付された大型の発掘状況写真パネルが院内に掲示されていました。邪馬台国は此処、水走の地にあったという説を打ち立てましょうかね(笑)。
このパネルは外来・一般病棟の2階に掲示されているのだが、入院病棟と一般病棟は2階で連結廊下で結ばれているため、われわれ入院患者が診察を受けに一般病棟へと向かう際には、このパネルの前を通ることとなる。そんなことで、たまたまそれと気付いたもの。(写真をクリックして拡大写真でご覧戴くと読み易いかと思いますので、興味ある方はどうぞ。)
(梅・入院病棟東側通路)
徘徊家持、病院内を隈なく歩きました。殆ど誰も通らない病棟の片隅にも、ひっそりと紅梅が咲き匂っているのでありました。
(同上)
一期一会の梅の花に送られての退院ですかな。
梅の花 はしきと見れど また来むと 言ふ人ぞなき 病庭の隅
(偐家持)
これにて、ヤカモチ入院始末記全5巻めでたく完結と相成りました。
どちら様もブログの上にてのご丁重懇篤なるお見舞い、まことに忝く、心より御礼申し上げ奉りまする。