愛用のコンパクト・デジカメがダウンしました。バッテリーの寿命が来たようで、十分に充電している筈なのに、1~2枚撮影すると、ピピピーと音がして「電池の残量がありません。」という文字が画面に表示され、暗転・シャットダウンしてしまいます。
かなり前からたまにこのような事が起こっていたのですが、バッテリーをいったん外して入れ直すと元に復していました。ところが、3日前から突如、「レンズを初期化しています。」という表示が出て、ピントが合わなくなる、などの現象が生ずるようになった他、頻繁に「電池残量がありません。」という表示も出るようになって、撮影しようとするとシャットダウンしてしまうという次第。
もう6~7年も使っていますから、バッテリーのみならずカメラも寿命なんでしょう。同じ機種のものは今は販売されていないらしい。同じメーカーのカメラの方がパソコンへの取り込みや編集のための再設定の必要もなく便宜だろうと、電気店で探しましたが、このメーカーの機種入れ替えの時期に当たっているとかで、3月末頃にならないとコンパクトカメラの新機種は入荷しないとのこと。止むなく同じメーカーの一眼レフ・カメラを購入することにしました。
主人たる小生が眼のレンズを入れ替えたので、カメラの方もそれに合せて「入れ替えてよ」と横着を言い出したようであります。是非に及ばずですな。
ブログ写真を撮るだけなので、余計な機能などは不要。軽量・コンパクトなのが一番なのですが、ないものは仕方がない。なるべく小さめの嵩張らないものなら一眼レフ機種でもよかろうと、取り敢えず購入致しました。
(春はまだ光のみなり冬木立)
この写真は、一昨々日(18日)に花園中央公園で撮影したもの。何という木かは知らないのだが、枝が複雑に枝別れして、まるで毛細血管のような様相を呈しているのが面白い。
「乱れて今朝はものをこそ思へ」という歌が思い浮かんだりもしましたが、寝乱れた黒髪はかくにしもあるか・・であります。しかし、ちと乱れ過ぎですかな(笑)。
この日は冷たい風が吹き、冬の寒さでありました。手袋をしていても銀輪のハンドルを握る手がジンジンと痛くなるようでもありました。されば木々たちも未だ冬眠。咲き出した梅も、トムソーヤではなく、寒そうや。そらそうや、と閑人ヤカモチ。
木立らは 春立ちぬれど 吹く風の
まだ冬なりと い寐てやあらむ (偐家持)
どうやら、木立は朝から夕方までずっと、ただ寝乱れ眠りを貪っていただけにて、ものは思っても居らなかったようでありました。されば、寒くもありて、色気も何もあったものではないと言うべきか(笑)。
そして、花園ラグビー場の上の空には雲の峰が・・。その峰の向こうに輝いて見えるは西方浄土のそれやらん・・ランボーでもなくば、どれひとつ念仏でもあげることとしようか、でありました。
(雲)
上の3枚は従来のカメラで撮ったもの。下の2枚は新しいカメラで昨日(20日)試し撮りしてみたもの。新しいカメラの操作、撮影の仕方やメニューなどの詳細は未だよく理解できていませんので、追々に慣れて行くしかありません。
(花園中央公園北出入り口付近)
(花園中央公園・北出入り口付近から南方向を望む。)
花園中央公園の水際には葦が群生している。鴨や鳰や鷺が見られることもあるのだが、この日は姿無し。寒き夕べと葦原と来れば、浮かぶのはこの歌。
葦辺ゆく 鴨の羽交に 霜ふりて 寒き夕は 大和し思ほゆ
(志貴皇子 万葉集巻1-64)
この歌は、慶雲3年(706年)、文武天皇の難波宮行幸に従駕した、志貴皇子が大和のことを思って詠んだ歌である。大和にのこして来た妻のことなども思われての歌であろう。道綱のおっかさんの歌「なげきつつひとりぬる夜のあくるまは・・」なんぞよりは、ずっと清澄で美しい、気品のある歌である(笑)。
高円山の麓にある白毫寺は志貴皇子の別荘のあった場所であるが、この寺は、高校生であった頃に訪ねて以来、何度となく訪ねている小生お気に入りの寺の一つでもある。
デジ亀の話で始まったブログ記事が鴨の歌で終るということで、何とも脈絡も、取りとめも無い記事となりましたが、お赦しいただくこととして、今日はこれにて。
今月に入ってからは一日の休みもなく、毎日、記事の更新が続いています。先月31日から始まり、これで22日連続更新。多分自己新記録ではないでしょうか。我ながら「あっぱれ」でありますが、銀輪からは「われをこそ22日連続で乗るべきにて、喝。」と言われそうです(笑)。