偐万葉・ウーテイス篇(その2) この処は銀輪散歩もサボりがち。近隣散歩で誤魔化して居りますれば、新しきネタもこれなくあり、本日も偐万葉シリーズと致しまする。
ということで、本日は、シリーズ第199弾・ウーテイス篇(その2)と致します。
<参考>過去の偐万葉・ウーテイス篇はコチラ。
ウーテイス氏のブログはコチラ。
偐家持がウテ麻呂に贈りて詠める歌17首
並びにウテ麻呂が詠める歌2首
西へ西へ 行けばやがては 東なり
卵が先か にはとり先か (コロンダスの卵)
(注)上の歌は偐万葉掲載に当り第5句を一部修正しました。
今更に 絵筆握れど ままならず こころはあれど 絵にならじかも
歌詠みは 曖昧両義を 本分と すればすまじき 理路のふみかな
ウテ麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌2首
庭に来て 我が家のマンゴー 盗むのは
ガロと言う名の リスの仲間か (ウテ麻呂)
リスなれば スリもゆるさむ マンゴーを
欲しと吾家に 来れるガロかも
遠島を 申し受けたる わが侘び家
日々天国の 冬も雪なし (ウー爺)
雪月花 雪しなければ 花月にて お笑ひ寄席の 名とやなるらむ
蟹食ふに 海老もしかなり 始末よく
食らはばゴミも デルスウザーラまじ (ゴッタガヤ)
(注)デルスウザーラ=黒沢明監督の日ソ合作映画「デルスウザーラ」に登場する人物の名前。ロシアのシベリア探検隊のガイドを務めた先住民ゴリド族の猟師である。
ゴッタガヤ=ブッダガヤとは無関係である(笑)。
寝ろとかも 言はれてネロは 詩を練ろと
寝ずは人みな 暴君と呼べり
野葡萄も 薬と知れば 野放図に 延ふるその様 よしとぞ見ゆる
昔こそ 大大阪と 呼ばれけめ 今都構想の あがきなどすれ
(本歌)昔こそ 難波田舎と 言はれけめ 今は京引き 都びにけり
(藤原宇合 万葉集巻3-312)
大大阪 いづち行かめや うつ手無み 州だの都だの 容れ物論議
(本歌)愛し妹を いづち行かめと 山菅の 背向に宿しく 今し悔しも
(万葉集巻14-3577)
わが客は 湯女にはあらじ 湯麻呂とふ
越後ゆ来たる をのこなりけり
切られては われな切りそと 棘つけて
枝なりませる ブーゲンビリア (棘麻呂)
まつ身にも 迎へのなくば 竹の花
未だ咲かざり 梅咲くばかり (偐松竹梅)
また来むと いひて素通り せし君の
またはまずなし 来むとは待たじ (偐の又三郎)
見ても見ぬ 人あるなれば 見えぬもの
見しとし言へる 人もあるなり (見麻呂)
いつの世も にせは尽きざり しかありて
千年万年 われもまた生く
憂しと見し よも明けぬれば うまなりて
うまくもなけど も~そっと生きむ (牛野馬麻呂)
生きる意味 もとよりなけど 死ねもせず
用無き身をば 恥さらしつつ (万年生太郎)
(光芒)
<注>関連写真がありませんので、手持ちの写真を適当に貼り付けました。上の本文記事とは直接の関係はありません。