カテゴリ:友人ほか
先日、友人のオガクニマン氏から電話があり、或る集まりに顔を出さないか、とのお誘い。
何でも、ヤカモチが勤務していた会社の法人営業部と海外事業部のOB有志の集まりだという。ヤカモチは総務・法務部門であったので、会の趣旨からは外れる部外者であるが、笠〇氏や竹〇J氏(囲碁の会でご一緒する竹〇氏とは別人なので「竹〇J」氏と表記します。)など懐かしい方もご出席になるというので、出席OKの返事をしたもの。 その集まりが昨日(7日)にありました。 会場の店は、福島の「花くじら歩店」。 ネット地図で場所を確認すると、JR大阪環状線の福島駅の数百メートル南側にある。福島天満宮の近くである。 午後6時開始だという。 (おでん「花くじら歩店」位置図) この付近は、囲碁例会などの折の銀輪散歩でもよく走っているので、地理感はあるが、「花くじら」という店は、広い通り・なにわ筋から路地を少し入ったところにあるので、知らない店である。 すぐ近くにある福島天満宮は知っているので、それを目印として行く。 福島天満宮の境内を通って行く。 (福島天満宮・社殿) JR大阪環状線に乗った頃は、未だ明るくて、車窓から眺める西の空は美しい茜色の波。見事な夕焼けであったが、福島駅に着いた頃は、すっかり暮れていて夕焼けも消滅。美しい夕焼けを撮り損ねたと残念な気持ちで「花くじら」へと向かったのでした。 福島天満宮の鳥居を出た脇にあるのが「花くじら本店」。 「花くじら歩店」は本店の前の路地を南に入ったところにある。 本店の前にも、歩店の前にも、「何だコレは」という長蛇の列。 どちらも数十人の長い列。店の周りを取り囲むようにして二列縦隊で長々と行儀よく並んで居られる。 こちらは、予約なので並ぶ必要はない。 店に入ると1階のテーブル席、カウンター席も満員。 予約の旨告げると、3階の部屋に案内された。2階と3階が個室・座敷になっているようだ。 外に並んでいる大勢の人たちは、この1階の席が空くのを待っているのだろうが、相当な待ち時間になるだろう。ヤカモチの辞書にはこのようなことまでして食事をするという「文字」は存在しないので、彼らの行動は不可解というか、理解不能というか、想像の外である。 部屋に通されたが、ヤカモチが一番乗り。どなたの姿もない。 (花くじら歩店) 席の設えから、今日の参加者は10名であることを知る。 間もなく、鍋の具が運び込まれて準備が始まる。 そこへ、笠〇氏が来られる。ヤカモチが会社を辞めて間もなく14年になるが、笠〇氏はヤカモチより少し先輩になる。従って10数年ぶりの再会になるかと思う。笠〇氏と雑談していると、山〇氏が登場。彼はヤカモチと入社同期である。続いて女性が二人。一人は法人営業部でもう一人が海外事業部に居た元女子社員とのことだが、顔も名前も思い出せないので初対面のような感じ。話をしているうちに何となく記憶があるような気もしてきましたが・・。 オガクニマン氏が現れ、東〇氏、生〇氏も来られる。 東〇氏は囲碁の会に一度だけ出席されたが、その後お見えになって居ないので、それ以来の再会。最近は近所の碁会所で打っていて梅田スカイビルまで出掛けるのが億劫で欠席が続いているとのこと。 生〇氏は健人会のメンバーでもあり、毎年2回は顔を合わせているので、「やあ」という感じ。今年7月の健人会でも会っているから4ヶ月余ぶりに過ぎない。どうやら、彼もヤカモチと同じ部外者で、オガクニマン氏から電話で誘われての、今回が初参加らしい。 どうやら、出席者に欠員が生じたので、その補充ということでオ氏から声がかかった、というのが事の真相のようである(笑)。 まあ、何であれ、懐かしい面々とお会いできるのは嬉しいことである。 最後に、竹〇J氏ともう一人存じ上げぬ女性が来られた。 竹〇J氏は元海外事業部。海外事業部が組織として独立する前は総務部の海外事業担当グループという形であったので、当初は同じ部に属していたこともあり、親しい関係でありました。同氏は英語が堪能。株主宛てに送付する全ての書面について、株式や外貨建転換社債を海外に上場している関係で、その発送の都度これを全文英訳して、アメリカ、ドイツ、スイスに郵送しなければならないのであったが、その英訳では同氏に随分お世話になったものであった。同氏とも十数年ぶりの再会である。ヤカモチは直ぐに同氏であることを認識して、挨拶を交わしたつもりであったが、同氏はヤカモチであるとは気付かずに会釈を返されていたようで、ヤカモチであることを名乗った時に初めてそれと気がつかれたと見えて、随分驚かれていたのは愉快でありました。 もう一人の女性は、正真正銘の初対面の女性で、笠〇氏が退職後に立ち上げられたご自身の会社の女子事務員だとのこと。モンゴル出身の女性でしたが、日本語は堪能。モンゴル風のそのお名前は覚えられぬままでした。 以上、10名による楽しい「忘年会」、午後8時過ぎまで愉快に過ごさせていただきました。 この会、長きにわたって、年1回、毎年12月に開催されているそうな。 年月の経過とともに、物故者も出るなどのほか、その他事情で参加できない人も出て来るなどもあって、会が寂しくなってはいけないということで、「ヤカモチも山の賑わい」とオ氏からのお誘いがあっての参加でしたが、今後も「補充」の必要が生じ、こちらの日程も合うようならば、喜んで参加させていただきましょう(笑)。 因みに、会を終えて店の外に出ると、入店した時と変わらぬ位の人数の人の列がまだ続いていました。 さて、今日は、師走8日。今年も残すところ今日を含めてもアト24日であります。 昨日といひ 今日とくらして あすか河 流れてはやき 月日なりけり (春道列樹 古今集巻6-341) これは、一昨年・2017年の大晦日の当ブログ記事に引用した古今和歌集所載の歌であるが、年末近くになるとこの歌が思い浮かぶ。 ところで、流れてはやきと言えば、今日12月8日は「ニイタカヤマノボレ1208」の日でもある。 1941年12月8日、この暗号電報の送信を受けて、ハワイ・オアフ島の真珠湾を日本軍が攻撃。戦艦アリゾナなど11隻を撃沈。暗号電報「トラトラトラ」を打電、攻撃の成功を知らせ、かくして日米開戦となった日である。 太平洋戦争開戦の日。1941を「ひくがよいのに仲間入り」と覚えたものだが、「ひくにひかれず」であったか「ひくをしらず」であったかはいざ知らず、1945年8月15日終戦までの3年8ヶ月余にわたる太平洋戦争(第二次世界大戦)へと日本が突入して行ったのは、もう78年も前の今日のことであります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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