偐万葉田舎家持歌集
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友人の岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今回は、ジャカランダの花が目的のご夫婦旅で、この時期の毎年恒例の旅であります。空の便もコロナの影響で減便欠航が多く発生して居りますが、同氏もこの影響で、予約の宮崎便が欠航、日程を変更した2度目の予約も欠航となり、鹿児島空港便に変更しての宮崎入りという「高速130kmの遠回り、全走行距離992km」の旅となったようであります。 では、同氏からの「旅報告」、「写真説明」に従い、ご送付いただいた写真により、旅の概略をご紹介申し上げます。 (旅・岬巡り報告271・南九州&同写真説明) 6月4日 関西空港(午後便)→鹿児島空港→青島グランドホテル直行(泊) 午後便での鹿児島経由の小雨の中のドライブでの宮崎市青島入り、ということで、この日の写真は、ホテルの窓から撮影されたという、2枚のみであります。 (青島の海岸) 浜にはサーファーの姿が点々と。 (暮色の青島) 6月5日 青島熱帯植物園→堀切峠→鵜戸神宮→日南・南郷ジャカランダの森→鹿屋ばら園→霧島神宮→霧島・ホテル京セラ(泊) この日の最初の写真はマンホールのそれ。早朝の散歩でお見掛けになったのだろうと思うが、最近は、同氏もマンホールにはつい目が行くもののようです。 (宮崎市のマンホール) 先ず、向かわれたのは堀切峠。 (堀切峠) 堀切峠は、昭和11年(1936年)宮崎交通の創業者・岩切章太郎氏が、観光スポットにしようと、フェニックスを初めて植えた場所だそうだが、ここを過ぎて、日南海岸を南に下れば、鵜戸神宮である。 (鵜戸神宮) そして、今回の旅の目的である、ジャカランダの花や如何に、と南郷ジャカランダの森へ。 (世界三大花木、ジャカランダ) (同上) ジャカランダ 紫匂ふ はつ夏の 見が欲しき花 恋ひてぞまた来し (偐家持) そして、鹿児島県鹿屋市に至り、かのやばら園へ。 (かのやばら園) わが来れば 雨に濡れたる 二番花の 今盛りなり かのやばら園 (偐家持) 霧島市では、霧島神宮に参拝。 神宮の写真は「ない」が、霧島市のマンホールの写真は「ある」のでありました(笑)。 (霧島市のマンホール・モノクロ版) (同上・カラー版) ミヤマキリシマとホオジロの図柄がデザインされています。 6月6日 霧島市→薩摩川内駅→日置市・伊集院駅→鹿児島経由→指宿市・長崎鼻→西大山駅(日本最南端の駅)→枕崎駅(日本最南端の始発・終着駅)→枕崎観光ホテル岩戸(泊) (桜島遠望) 朝、桜島を遠望して、この日は始まりました。 薩摩川内市、日置市、鹿児島市、指宿市、枕崎市と巡ります。 先ずは、マンホールの写真から。 (日置市のマンホール) (指宿市のマンホール) 薩摩半島最南端・長崎鼻灯台へ。 岬麻呂氏の旅は「灯台巡り、岬巡り」の旅がその原型であるから、ヤカモチも「岬麻呂」というお名前で呼ばせていただいているのであるが、これで一応「岬麻呂」としての面目も立ったことになります(笑)。 (長崎鼻灯台) 対岸に見えているのが大隅半島。先っぽが佐多岬。 九州最南端はあちらの佐多岬の方になりますな。 余談になるが、万葉故地の日本最南端は「薩摩の迫門(せと)」とされる。これは、鹿児島県阿久根市黒ノ浜とその対岸の島・長島との間の海峡・「黒ノ瀬戸」のこととされている。「高千穂の峯」というのも万葉に登場するが、これはもともと伝説地で、確実にどことも定めがたいので、「黒ノ瀬戸」が最南端という訳である。
隼人(はやひと)の 薩摩の迫門(せと)を 雲居なす 遠くも吾は 今日見つるかも (長田王 万葉集巻3-248)
隼人(はやひと)の 湍門(せと)の磐(いはほ)も 年魚(あゆ)走る 芳野の瀧に なほ及(し)かずけり (大伴旅人 同巻6-960)
(マンゴー) これは、長崎鼻入口にある温室のマンゴー。 そして、指宿と言えば薩摩富士こと開聞岳であります。 (開聞岳遠望) 日本最南端の駅・西大山駅を経て、こちら枕崎駅は最南端の始発・終着駅であります。 (枕崎駅) そして、枕崎市のマンホールです。 (枕崎市のマンホール・カラー版) 立神岩と鰹のみこしの図柄です。 下の規格品タイプのものは、翌7日の朝の撮影ですが、繰り上げです。 (同上・規格品タイプ) 6月7日 枕崎→鑑真記念館→野間半島→知覧武家屋敷通り→鹿児島空港→関西空港 最終日は、枕崎の立神岩から始まります。 上掲のマンホールに描かれている岩です。 (枕崎・立神岩) 南さつま市、秋目浦付近の国道226号沿いにあるのが鑑真記念館。 (鑑真記念館) 鑑真は天平勝宝5年(753年)12月20日、薩摩国坊の津秋目(秋妻屋浦<南さつま市坊津町秋目>)に上陸している。時に66歳。 大伴家持はこの時36歳。越中守の任を終え帰京して3年目。 春愁絶唱と称される万葉集巻19-4290~2番の歌を作ったのがこの年の2月のことである。藤原仲麻呂が力をつけて来て、橘諸兄に匹敵するようになり、諸兄失脚、聖武上皇崩御が3年後、諸兄死去、その息子の橘奈良麻呂の乱が4年後というのがこの時期で、大伴家持にとっては何となく先行きについて面白くない空気が漂い始めた頃かと思う。 ちょっと脱線しました。 東京在住の友人H氏はこの坊津出身であることも思い出しました。 それはさて置き、岬麻呂氏は坊津から野間半島へと向かわれます。 (野間半島・野間岬) 岬に薩摩野間埼灯台があるらしいが、前回、道に迷って到達できなかったので、今回はそのリベンジだったようですが、工事中にて灯台への道は通行止め。手前の展望台まで行くことができただけ。 写真は、その展望台からの眺めのようですが、仰るように、カバかワニの横顔に見えますな(笑)。 (南さつま市のマンホール) 知覧武家屋敷通りへ。 (知覧武家屋敷) (同・知覧型二つ家) 近隣の武家屋敷を移築したものだそうだが、茅葺のなかなか趣のある建物である。 さて、最後に、今回もマンホールカード8枚をゲットされ、旅便りに同封下さいました。昨日11日午後、喫茶・ペリカンの家にて、ブロ友のひろみの郎女さんにこれをお引渡しいたしました。 マンホールカードは彼女が収集されていて、岬麻呂氏は、旅先で入手したマンホールカードがあると、彼女にとこれを送ってくださるのが恒例になっています。 ひろみの郎女さん(ブログのハンドル名は「ひろみちゃん8021」)は毎回、これらをご自身のブログでご紹介されますので、ヤカモチは控えめに、その表面の写真だけ、ここで紹介して置きます。 (薩摩川内市) (指宿市) (鹿児島市2種類) (日置市) (枕崎市) (霧島市2種類) <参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。 同上・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。
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プロフィール
けん家持
養老2年(718年)の生まれゆゑ、年令1306才(養老元年生れ説だと1307才)。銀輪歌人、偐家持(ニセヤカモチ)。若草の里の読書会に屯しています。時に「まっ黒の走子」。時に「偐定家」。時に「筆蕪蕉(不精者)」であります。また、時々は偐家持美術館のヤカモチ館長でもあります。自転車(銀輪)であちらこちらを気ままに散歩し、花を愛でたり、虫と遊んだり、万葉調の歌(と言っても大抵は戯れ歌)などを作ったりしています。
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