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このところまた雨が続いていますが、今日はその小止みになった雨間をぬって月例の墓参。いつもは朝のうちに墓参であるが、今日は午前中はかなり強い雨で、予報では午後3~4時頃には止むという予報であったので、午後に回すこととしました。
その雨の中、1通の葉書が届きました。 会社勤めの頃の仲間の一人、倉〇君のご逝去の知らせでありました。病気療養中のところ7月10日に亡くなったこと、葬儀は7月13日、四十九日は8月21日に、親族のみにて済ませたことなどを知らせるご遺族からのご通知でありました。 彼は、ヤカモチより2~3年後の入社だと思うが、当初は本社経理部に配属、長らく経理部で活躍された後、名古屋の支店に転勤されましたが、本社経理部勤務時代には、ヤカモチとは部署を異にするも、仕事面でもその他の面でも親しくさせていただいた仲である。最近は年賀状を交換するだけのお付き合いになっていたので、病気療養中であったことなども知らず、突然の悲しい知らせに絶句でありました。 友人・知人が亡くなるというのは、悲しく寂しいことであるが、それが自身とほぼ同年齢や年下の人物である場合には特にその思いが強くなる。 彼は山口大学の卒業で、学生時代には湯田温泉の旅館でアルバイトをしていたというようなことも聞いていたので、ヤカモチの記憶の中では何となく中原中也と結びついていたりもしていました。 同君のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。 君逝きて いづちにありや 秋の日の 雨間の空に なびく横雲 (偐家持) 今は君 いづちにありや 秋雨に 山は煙りて 泣けと言ふらし (偐家持) (本歌)この水は いづれに行くや 夏の日の 山は繁れり しづもりかへる (中原中也) さて、墓参の道で毎回門前を通るお寺の「門前の言葉」が新しくなっていました。 (門前の言葉) 2019年秋から2020年末まで、寺の本堂や門の改修工事で、門前の言葉はお休みとなり、墓参の楽しみの一つが無くなっていましたが、工事完了に伴い、今年に入ってこれが復活し、新しい「門前の言葉」が掲示されました。しかし、従前は毎月新しいものに更新されていたのに、その更新がないままという状態が、先月8月13日の墓参の折まで続いていました。 まあ、今回も、従前のように毎月更新されるのかどうかは、来月になってみないと分からないのではありますが、何となく従前スタイルが復活したような気がします。 今回の言葉の仲野良俊という人のことは存じ上げないので、ネットで調べると、浄土真宗の僧、仏教学者、1916年生まれ、1988年1月6日没とありました。 <参考>仲野良俊・Wikipedia 道の辺では、コオロギが鳴き秋めいた雰囲気を醸す一方、ツクツクボウシが鳴いて夏の終わりを惜しんでいる風でもありました。 (棗の実) 雨に濡れたナツメの実が少しばかり色づき、これもそこはかとなき秋の気配であります。 (今日の墓地からの眺め) 大阪市内の方はまだ雨の中のようです。 <参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.09.03 21:31:33
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