偐万葉田舎家持歌集
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またまた、岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今年3回目となる旅は、「何度も訪ねている波照間島が目的」のご夫婦旅でありました。 人が住む日本最南端の島・波照間島は、ここ数年挑戦するも、外海を航行する高速船は冬場には欠航することが多く、ために訪問を諦めるということが続いていたらしい。 (旅・岬巡り報告305・西表島、波照間島&同写真説明) さて、その首尾や如何に。我々もお付き合いさせて戴きましょう。 2月4日 関西空港→新石垣空港→ホテルミヤヒラ(3連泊) 今回は、「離島が目的の旅」ということで、ホテル往復はレンタカーではなくタクシーを利用とのこと。 3連泊のホテルは、離島ターミナルの前のホテルミヤヒラ。連夜泡盛を楽しまれたとのことですが、下戸ヤカモチには「吾事ニ非ズ」であります。 2月5日 石垣島→西表島(大原港)→星砂の浜→月の浜→白浜公民館のサガリバナ→船浮集落→イダの浜→大原港→石垣島 この日は曇り小雨の予報、波照間便運航なるも翌日が曇りの予報なので、波照間島には翌日に渡ることとし、西表島(大原港)に渡る。 昨年12月の訪問時に大原港でレンタカーを予約して居られたので、時間外であったが、係のお方が出迎えて下さって、レンタカーに。 (西表島・星砂の浜) 浦内川観光船は定期点検で休業。 前回咲いていた白浜公民館のサガリバナは、花の気配なし。 白浜港から連絡船で船浮集落に渡る。 船浮集落は、白浜港とは陸続きであるが、道路は白浜港までで、そこから島の西海岸を南へと下る道が無いので、船で渡るほかないという立地。 この日の乗船客は6名のみとのことですから、岬麻呂氏ご夫妻の他には乗船客は4名のみであったということになります。 (同上・イダの浜<南方向>) (同上・イダの浜<北方向>) ご覧のようにどちらを見ても人影はなし。貸し切り状態。 しかし、この日は日曜日ということで、いつもはお休みの食堂が営業していたということで、用意してきたお弁当が無駄になったとのこと。 (同上・イダの浜<西方向>) 「東シナ海前に見て~♪」というのは「沖縄を返せ」という、アメリカ占領下にあった頃の沖縄返還運動で歌われた歌であるが、今は浜木綿であるか、人影もないイダの浜にて、花咲く初夏の到来を待ちつつ、東シナ海の寄せ来る波を見ているのでありました。 イダの浜 もとほり来れば 寄す波と 風の音ばかり 人影もなし (西田家持) 2月6日 石垣港→波照間島(波照間港)・レンタカー→島中央の共同売店(弁当購入)→ニシ浜→泡波酒店→波照間灯台→波照間空港駐車場(お弁当タイム)→石垣島→(タクシーで)→バンナ公園
この日の石垣港の日の出は7時50分頃。快晴で波照間の期待が膨らむ。 (石垣港の日の出) 石垣港から外海に出ると、ローリングとピッチングの荒れようで、曇り空。しかし、無事に波照間港に到着。 波照間港で一番先に下船。と言うのも、前夜及び当日早朝の電話では、レンタカーの予約が取れなかったことから、ともかくもレンタカーを確保せむとの行動。レンタカーの看板を持つ人たちの中で、当日予約可能な店の情報を持つ人を探し出さなければならない。幸い、「残り1台」という情報を得て、レンタカーは確保できました。 この日は旧暦の1月16日で、地元では、お墓参りの日ということになっているらしく、お墓参りで島に里帰りの人が多く、下手をするとレンタカーが確保できない可能性もあったという次第。 レンタカーが確保できてひと安心されたところで、撮影されたのが、このマンホールの写真でしょうか。 以前に送ったものと同じデザインであるが、と送って下さったマンホール写真であります。 (波照間島のマンホール) そんな特別の日であったことから、食堂は休業、島に3ヶ所ある共同売店も午前中のみの営業とのことで、「お弁当はすぐにも買え。」というのが島のレンタカーのお店の人の話。島の小中学校も午後はお休みとのこと。 前日の西表島では、食堂が営業していて、用意していたお弁当が無駄になってしまったが、この日はお弁当確保がレンタカー確保と共に必須であったという次第。お弁当も無事に確保。 高速船の乗客で花を持っている人が多かったことや港ではレンタカーの店の看板を持つ人がいつもより少ない理由が、判明したのでありました。 (ニシ浜) 先島諸島での方角の昔の呼び方では、東が「あがり」、西は「いり」、南は「はえ」、北が「ニシ」。従って、ニシ浜とは、西浜ではなく北浜という意味なのである。 (ニシ浜ビーチ) さてどこまで行こうか ニシ浜ビーチ (偐山浜火) (泡波酒店) 希少泡盛の「泡波」をゲット。 波照間の 海の色にも いやまして 我に良きもの 泡波ぞこれ (御酒麻呂) 皆人の えがてにすとふ 泡波も 泡は食はぬと 家持われは (泡家持) (波照間灯台) わが来れば 南の果ての 波照間の 何やら悲し 真白き灯台 (岬家持) (日本最南端之碑) (波照間島の南側の風景) 写真左奥の建物は星空観測センター。右奥は高那崎。 前掲のマンホールは、この星空観測センターの図柄である。 (島最南端の崖) 波照間に とどろ寄す波 間なくしも 散って砕けて 砕けて散って (最果家持) 波照間空港の駐車場で「お弁当タイム」。 ここで、土砂降りの雨になったそうですが、観光を全て済ませた後なので、問題なしであります。まあ、青空の下でのピクニック弁当ならもっと良かったのでしょうが。 午後の便の高速船で石垣島に戻ります。 (波照間港に入港する高速船) 波照間と石垣を結ぶ高速船はこんな船でありますか。 石垣島に戻り、バンナ公園展望台へ。 (石垣島・バンナ公園のカエンボク) バンナ公園へは、カエンボクの花を見るのが目的。 タクシー乗り場で運転手さんに聞くと、彼のお散歩コースであったらしく「今朝咲いているのを見た」とのこと。そのタクシーに乗り込み、広い公園の中を探す必要もなく、観光客などはまず立ち入ることのない、穴場巡りをしてもらい、ピンポイントでカエンボクの花も見ることができたという次第。 (バンナ公園展望台から望む石垣港遠景) 2月7日 新石垣空港→関西空港 最終日は昼便で関西空港に帰還。「最高気温25℃から戻ると寒い」というのが帰還の弁。 以上です。本日もご覧いただき、ありがとうございました。 <参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
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プロフィール
けん家持
養老2年(718年)の生まれゆゑ、年令1306才(養老元年生れ説だと1307才)。銀輪歌人、偐家持(ニセヤカモチ)。若草の里の読書会に屯しています。時に「まっ黒の走子」。時に「偐定家」。時に「筆蕪蕉(不精者)」であります。また、時々は偐家持美術館のヤカモチ館長でもあります。自転車(銀輪)であちらこちらを気ままに散歩し、花を愛でたり、虫と遊んだり、万葉調の歌(と言っても大抵は戯れ歌)などを作ったりしています。
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