カテゴリ:岬麻呂旅便り
友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。
今回は、長崎、佐世保の旅。 亡き友を偲ぶ旅でもあったようです。 (旅・岬巡り報告315 長崎、佐世保&同写真説明) 長崎、佐世保は30年位前に家族旅行で訪ねたのが最後のヤカモチ。 遠い昔のあやふやな記憶を手繰りながら、岬麻呂ご夫妻の旅にお付き合いさせていただきましょう。 8月1日 関西空港→長崎空港→オランダ坂→眼鏡橋→出島オランダ商館→稲佐山展望台→大浦天主堂→ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒル(2連泊) 今回の旅を思い立たれたキッカケは、今年6月の初め頃にご友人のT氏に夜お電話されたところ、「今、長崎で友人と飲んでいます。」という応答。そのT氏の言葉「長崎の夜はいいですよ。」というのに触発されて、ということであったとか。 思い立ったら、すぐに行動を起こされる岬麻呂さん。気持ちが若々しいですね。思うばかりで最近は行動が伴わなくなっているヤカモチとしては羨ましい限りであります(笑)。 ということで、夕食後、タクシーで夜の長崎観光。タクシーの運転手さんが親切な人で、楽しい観光となったようです。 (オランダ坂) 日中は観光客で賑わうオランダ坂も午後8時近くになると人通りは少ないようです。 (眼鏡橋) 夜の眼鏡橋から出島オランダ商館をめぐり、稲佐山展望台へ。 (出島オランダ商館) はい、稲佐山展望台から眺める長崎の夜景であります。 (長崎の夜景) 月明かりの長崎港。いいですね。 満月前夜の月(待宵月)が奥の橘湾のずっと向こうから手前の長崎港の海面を通ってこちらへと静かな一筋の光の道を作っています。 写真左下には「開業を待つ新幹線駅」が写っているらしいですが、どれなのか、よくは分かりません(追記注参照)。 (追記注 2023年8月11日11:39) 岬麻呂氏からメールがあり、上の写真では、新幹線駅は左端に黄色く写っている道路の左側にあり、画面の外になって、写ってはいないとのこと。 それが写っている別の写真を送ってくださいましたので、追加で掲載させていただきます。 (長崎新幹線駅) ※左下部、黄色みがかった縞模様に見える、細長く横に伸びている建物が新幹線の駅です。駅右側の道だけが前掲写真に写っていて、駅そのものはわずかに画面外になっていたという次第。 そして、大浦天主堂のライトアップ。 (大浦天主堂) 勿論、大浦天主堂も隣接のグラバー園もこの時間には閉門されていて、人影もなし、であります。 8月2日 グラバー園→小浜温泉経由→南島原市キリシタン遺産記念館→原城跡→島原城→諫早干拓道路→長与町経由→ホテル帰着 2日目は、先ずグラバー園へ。 ヤカモチには「グラバー邸」という名称が刷り込まれていて、「グラバー園」だの「旧グラバー住宅」だのという名称は、耳慣れないのであるが、調べてみると、1961年にグラバー邸が国の重要文化財に指定された際に、正式名称が「旧グラバー住宅」と定められたということが分かりました。 長崎市は、1970年に「長崎明治村構想」を打ち出し、既に購入済みのリンガー邸(「旧リンガー住宅」)に続いて、同構想に基づき1971年にオルト邸(「旧オルト住宅」)を購入。 更に、市内の他地区に存在した「旧ウォーカー住宅」などの洋風建築物4棟をこの地に移築復元。これらの伝統的建造物を中心施設として1974年に開設された公園が「グラバー園」ということのようです。 <参考>公式・グラバー園 グラバー園について (旧グラバー住宅) そして、旧グラバー住宅の前から望む長崎港です。 (長崎港) 向かいの山が稲佐山ですから、夜景写真で左下に写っているという新幹線駅は、この写真では右端奥にあるのでしょうが、写っているのかどうか。 グラバー園は開園時刻の8時直後に入園されたようで、観光客が居ない園内を「我が物顔」に歩かれたのかどうかは存じませんが(笑)、他の観光客に邪魔されることもなく、ゆったり気分で歩かれたようです。 それでも「朝の長崎」は「夜の長崎」ほどやさしくはなく、高低差のある園内の道をエスカレーターのある一部を除き、全部歩かねばならず、「滝のような汗」であったとか。 まあ、近ごろは、この時期、日本全国どこも猛暑ですから、長崎に限らず、ではあります。 グラバー園を出てからは、冷房のきいたレンタカーでのドライブ移動ですから、「滝のような汗」とは無縁であられたのでしょう。 南島原市の有馬キリシタン遺産記念館へと向かわれます。 (有馬キリシタン遺産記念館) そして、原城跡、島原城へ。 (原城跡) (島原城) 諫早湾干拓堤防道路を走ります。 (諫早湾干拓堤防道路・南方向<雲仙岳方向>) 上の写真は南方向の眺め。左が有明海、右が干拓地の内水。中央奥に見える山が雲仙岳。 下の写真は反対の北方向の眺め。従って、有明海と干拓地内水とは左右逆になります。 どちらも高い位置から撮って居られますから、中央の水門に高所に上ることができる施設があるのでしょう。 (同上・北方向<諫早方向>) 「諫早から大村湾沿い長与町経由して戻る。」と書いて居られますが、その長与町で撮影されたマンホールです。 (長与町のマンホール) 8月3日 させぼ四ヶ町(F君入院していた病院の近所)→R35近く(F君の実家の近く)経由→展海峰公園(九十九島展望台)→佐世保港→平戸大橋→平戸城→大村公園→長崎空港→関西空港 最終日は、亡き友・F氏が入院されていた病院やそのご実家の近くを巡って、しばし同氏に思いを馳せ、その面影を偲びつつ、佐世保市の展海峰展望台へ。 (展海峰展望台から九十九島を展望)<参考>展海峰・Wikipedia 上の写真を見て、ヤカモチの脳裏に先ず浮かんだのは、地震で海底が隆起する以前の象潟の景観はこのようであったのだろうということでしたが、それもその筈、九十九島という名は、平戸藩主松浦静山が出羽国の象潟九十九島に倣って命名したものだそうな。 八十も過ぎ 八月三日 展海峰 九十九島を 望みつるかな (偐岬麻呂) (本歌)七十に 近き春にぞ あひの浦 九十九島を いきの松原 (伊能忠敬) 西海の 九十九島の 青葉風 波を雲とし 流すや空に (偐岬麻呂) (本歌)きさがたの 桜は波に うづもれて はなの上こぐ あまのつり舟 (伝・西行<注>) <注>奥細道菅菰抄に、西行作の歌と記されているが、西行全歌集(岩波文庫)には収録されていない。 <参考>九十九島(西海国立公園)・Wikipedia (佐世保港) 佐世保港を遠望し、平戸大橋へ。 この辺は地理感のないヤカモチ、説明は適当になります(笑)。 (平戸大橋) そして平戸城に立ち寄り・・。 (平戸城) 空港のある大村に戻って来られたが、時間に余裕があったとかで、大村公園へ。 しかし、広大な公園であり、「暑さに恐れをなしてちょっと足を踏み入れる程度で退散」だったようで、写真はありません。 かくして、全行程661kmのドライブ旅行終了であります。 なお、今回もマンホールカード8枚が同封されていましたので、以下の通り紹介して置きます。 これは、ブロ友のひろみちゃん8021さんにお渡しすべきものであり、追って彼女がご自分のブログでご紹介されるかと思いますので、詳しくはそちらでご覧ください。 (長崎市のマンホールカード) (諫早市のマンホールカード) (南島原市のマンホールカード) (西彼杵郡長与町のマンホールカード) (大村市のマンホールカード) (佐世保市のマンホールカード) (長崎県流域下水道のマンホールカード) 以上です。今回もご覧いただき、ありがとうございました。 <参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。 同上・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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